日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

礼拝予定などをお知らせします。まだまだひよっこのブログですが、コメントを残していただけるとうれしいです。


by oji-church
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「ほっとけない!」

★先週、知的なしょうがいを持つ人が、幼児を歩道橋から投げ落とすという痛ましい事件がありました。朝の民放のニュース番組(というかニュースの顔をした「ワイドショー」)で、有名なキャスターが、加害者を罵倒しているのを見て、いたたまれずすぐにチャンネルを変えました。
★加害者は、仕事のプレッシャーから逃れようとして、「悪いこと」をすれば、刑務所に「入れてもらえる」と思って、事件を引き起こしたようです。
★彼が刑務所に「入れてもらえる」ことを願ったことから分かるように、知的なしょうがいを持つ人を取り巻く社会の環境は決して良好なものではありません。差別の壁が依然として厚く立ちはだかっています。
★彼ら・彼女らをケアする人の数も、決して十分ではありません。いきおい、少数のワーカーが多数のしょうがいを持つ人のケアに当たることになり、とても目を行き届かせることのできない人の数を一人のワーカーが看ることになってしまいます。
★ですからこの事件は、この加害者一人の問題ではなく、この社会に生きる一人一人の負っている苦難を「他人事」として通り過ぎ、かえりみない、わたしたち自身の問題、わたしたちの作ってきた社会の責任なのです。
★人の目の中の「小さな塵」を罵倒する前に、自分の目の中にある「大きな梁(はり)」に気付くべきことは、聖書がわたしたちに訴えていることです。
★この事件によって知的なしょうがいを持つ人への締め付けが厳しくなることが無いようにしましょう。折しも先日「教育再生会議」によって学校の先生・子どもたちのへの「締め付け政策」が提言されたところです。このままではやがて、弱い立場に置かれた人から順番に窒息死させられる社会になってしまうことでしょう。(大久保)
by oji-church | 2007-01-23 14:36 | 牧師からのメッセ-ジ
「本当の自分」

★先週8日に王子教会の所属する教団東京教区北支区主催の信徒大会があって行ってきました。主題は「青年と生きる、青年が生きる」という題で、このところ低迷が叫ばれている教会の青年層に関することでした。
★その中で新宿で開拓伝道をしておられる若い牧師さんが語っていたことが印象に残りました。その牧師さんは現代の青年の特徴として、彼ら彼女らの一番の関心が「自分」であることを挙げていました。占いやスピリチュアリティがブームになっているように、若い人たちの関心は、「自分」の過去や将来に深く注がれていると言うのです。
★思えばわたし自身も、思春期に「自分」というものに随分と悩んだものでした。「自分」って何なんだ? と思い悩み、その「自分」を掘り下げて、人と違う「自分」を探し求めては一喜一憂するのです。
★けれど、その果てに知らされたのは、結局「自分」なんて「大したモンじゃない」ということです。そうやって「自分」に思い悩み「自分」に疲れ果てた後に、恐る恐るながらに人と触れ合いながら知らされたことがありました。それは「大したモンじゃない」その自分の存在が、時に不思議にも人から愛されたり、喜ばれたりするということでした。
★「自分」にのみ深く関心を寄せるのは、何も現代の「青年」に限ったことではなく、今の大人たちを見ていても全般的にそういう雰囲気です。それは今の日本全体を包んでいる「気分」のようなものなのかもしれません。
★「本当の自分」というものは「自分」だけを掘り下げてみても、決して出てこないのでしょう。「本当の自分」は自分自身と自分じゃない誰かとの「あいだ」にあるものなのだと思うのです。(大久保)
by oji-church | 2007-01-17 16:10 | 牧師からのメッセ-ジ

難民絵画の会

しばらくアップするのをサボっていましたが、この間、何度か難民絵画の会がありました。
上の絵は、クルドの人のイメージで描いたものです。トルコの武装警察隊によってクルドの村が襲撃されたときの様子。実際にこのようなことが起こっているのです。この絵を描いた日は、わたしの自宅で、『少女ヘジャル』というクルドの映画を見ました。絵のようなクルドの村の襲撃によって両親を殺された少女が、元判事である老人の元に身を寄せることになり、最初は反発し合っていた二人がやがて心を通わせ始めるというお話です。ビデオ屋さんでも貸していると思うので、関心のある方は、ぜひご覧になってください。結構泣けます。
下の絵は、昨年の12月の最後に描いた絵。年の最後だし、明るい絵を描こうということで書きました。公園で皆が楽しく遊んでいる風景。空には月とお星様と花火が上がって・・・。(大久保)
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by oji-church | 2007-01-10 14:47 | みちばたの教会
★明けましておめでとうございます。「元旦の計」なんぞというものを考えながら、結局この文章を書いている1月5日まで、何も考えつかずにゴロゴロしながら寝正月を過ごしてしまいました。年末はゴタゴタしていて年賀状も書いていません。寒中見舞いでも出すことにしましょう。
★さて「元旦の計」ならぬ「1月5日の計」を考えなければなりません。と、いま座っているパソコンの周りを見回してみると、昨年から置きっぱなしの書類やら封筒やら本やらがグチャグチャと底なし状態で積み上がっている。そこで「1月5日の計」はこれしかないと思い至りました。「整理整頓」。
★とかく子どもの頃から、整理整頓ということが、この上なく苦手でした。学校の通信簿にはいつも「だらしがない」と書かれていた記憶がある。家でもグチャグチャの机の上を親が見て、「お前の頭の中も、ああなっているんだ!」と叱られたものでした。今は「全くその通りだ」と思います。それで、自分の子どもにも、同じことを言っているのですが……。
★王子教会にとって今年は、新しい会堂が出来上がる年になります。新しい会堂は気持ちよく、整理整頓に努めたいと思います。でも、やっぱり「整理整頓」って苦手なんだよなぁ……。あんまりきれいに片付けられているのは、居心地がよくないのです。
★教会には、色んな人がやってきます。色んな人を受け止めようとするのが教会という場所でしょう。ちょうどいい具合に色々あって、でも、来た人にすぐに配慮できるために、整えられている。そういうのが理想なのでしょうね。(大久保)
by oji-church | 2007-01-10 14:24 | 牧師からのメッセ-ジ
★今年一年をふり返ると、いろいろなことがありました。ついに教会堂の建設に着工した年、というのが、王子教会にとっては一番大きなことだったと言えるでしょう。
★わたし自身にとって今年は、あまりおめでたい話ではありませんが、思えば4度の葬儀を行った年となりました。これまで一年の内に、こんなに葬儀を行ったことはありませんでした。
★ふと思うと、かつて、まさか自分が人を天に送る仕事をすることになるとは、夢にも思っていなかったことに気付きます。しかし、こうして葬儀を重ねて執り行う内に、人の命と死ということに、自分なりにやはり一定の「決着」とでもいうものを持っていなければ、これは立ちゆかないぞ…、という気がしてきました。
★しかし、死んだことのないわたしが、命や生はともかく、死について「決着」などというものを持つことは、なかなか難しいことだとも思わされます。そんなことを考えながら、人を天にお送りする仕事を重ねてきて、思うようになってきたのは、実は「死」と「生」とは、そんなに離れたものではないのじゃないか、ということです。
★それは、わたしたち生きている人間からすると、そんなに簡単に「分かる」ことのできるものではないのだけれども、生と死とは、必ずどこかで繋がっていて一緒にあるものなのだということを、心のどこかで感じ受けることができるようになった、というのが、わたしにとっての今年の収穫なのかもしれません。
★では、そこに立って「いま生きている命を愛するとは?」という問いが、これから考える課題であるようにも思います。(大久保)
by oji-church | 2007-01-05 13:55 | 牧師からのメッセ-ジ