日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

礼拝予定などをお知らせします。まだまだひよっこのブログですが、コメントを残していただけるとうれしいです。


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10月22日は、飛鳥山公園にて、おとなもこどももそろって野外礼拝をしました。聖書の5千人(以上)の食事の場面を読んで、みんなでクラッカーとニボシ(笑)を、五つのパンと二匹のサカナに見立てて、一緒に分け合っていただきました。
普段は、「雨男」で定評のある牧師ですが、この日は、いいお天気になって、ホッと胸をなで下ろす(なんと翌日はひどい雨風になりましたが)。
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飛鳥山の木々もだんだんと色づいてきて、秋を感じさせます。
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by oji-church | 2006-10-25 17:17 | 全体のお知らせ
音楽の効用

★北とぴあで礼拝をするようになり、讃美歌を歌う時には、隣の部屋に注意して、小さな声で歌わなければならない状況になっています。礼拝に沢山の人が集まるのは嬉しいことですが、人が集まれば集まるだけ、ヒヤヒヤしながら讃美歌を歌わなければならないというのは、何とも苦しい状況です。
★普段、牧師室で一人で仕事をしていると、仕事の大部分は、書類を用意したり、頼まれている原稿を書いたり、こうして週報を作ったり、説教や祈祷会等でのお話の準備をしたり、そのために本を読んだり……という具合に、ほとんどが「言葉、言葉、言葉……」に関わるものです。おまけに趣味も「読書」となれば、ほとんど「言葉」から逃げようがありません。疲れてくると、自分自身の「言葉」もすさんでくるようにも思います。
★キリスト教は、当初から「言葉」に深く関わる宗教でした。何よりも大切にされるのが「神の言葉」です。ですから聖書をはじめとして、当初からキリスト教の中では、数多くの文書がしたためられてきました。でも、本当にいちばん大事なのは字面の「言葉」ではない、という思いも、やはり当初からキリスト教の中にはあったのだと思います。その気持ちが聖書にある「霊」という言葉には響いているような気がします。
★プロテスタント教会は、カトリック教会から独立する時に、多くの儀式や儀礼を省き、「信仰」というものを「聖書」に集中させるようにしました。その結果、キリスト教の中でも、カトリック教会やギリシア正教会に比べてプロテスタントの教会は、「信仰」というものが「言葉」に偏重しているようにも思います。
★そういうわけで最近は、仕事をしながらBGMで音楽をかけるようにしています。やはり音楽を聴くことは、「言葉、言葉、言葉……」の仕事の中で、疲れてすさんでしまう「わたしの言葉」「わたしのこころ」を癒してくれるようにも思います。言わずもがなかもしれませんが、皆さんもぜひ、そんな「音楽の効用」を大事にしてくださいね。(大久保)

e0088612_16581930.jpgちなみに最近凝っているのが初期のボブ・ディラン。完全にオヤジです(笑)。
by oji-church | 2006-10-25 16:47
「持つべきもの」と「持たざるべきもの」

★今度この国の首相になった人は、いまの憲法を早いうちに改定することを公約に掲げている人です。はっきりと武力を行使出来る国となり、集団的自衛権なるものを行使して、アメリカの行う戦争に参戦できる仕組みを作ることに熱中しています。
★現憲法の前文には、こんな言葉があります。「日本国民は、…政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」。
★戦前、国の主権は天皇一人に与えられました。日本の国民は、欧米に列する力を手に入れるために、自分たちの生命を天皇に預けてしまったのです。その結果、アジアの多くの人の生命を奪い、自分たちの生命も無駄にしてしまうことになりました。
★この結果に対する反省からしたためられた憲法です。「主権が国民に存することを宣言し」とは、「力」を得るために、自分自身の生命を他人に預けてしまうようなことはしないということです。自分の生命の責任を持ってしっかり「持つ」ということ。
★さらに憲法9条の言葉はこんな言葉です。「1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」。「放棄する」「保持しない」「認めない」という言葉が連ねられています。ここで言われているのは「持たない」ということでしょう。人が自分の不安や恐怖の中から生み出す、他を害する「力」を、もう「持たない」ということ。
★いまわたしたちを囲む社会は、この逆を行こうとしているようです。「持つべきもの」と「持たざるべきもの」をしっかりと見極める必要があるように思います。
by oji-church | 2006-10-15 17:38

みちばたのはなにら

教会の裏手の道ばたに、ずっと前から「花ニラ」が生えていました。誰かが植えたのか、それとも自然に種が落ちて生えたのか分かりません。人通りの少ない日陰の道ばたに、美しい花を折に触れて咲かせていました。
が、会堂建築のために整地せねばならず、いまはもうありません。
最後に教会員のYさんが、写真を撮ってきてくださいました。
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by oji-church | 2006-10-04 15:38 | みちばたの教会
「ボーッとしながら書いてます」

「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労はその日だけで十分である」(マタイ6:34)

★こういう週報などを準備作成しながら、調べ物のためにたまたま開いたインターネットのホームページなどに見入ってしまい、いつの間にか時間も忘れてネット・サーフィンに夢中になってしまっていることがあります。一人で仕事をしているので誰も止めてくれません。後で、「なんて時間を無駄にしてしまったのか!」と悔やむことしきりです。
★先週この欄でご紹介した加賀乙彦さんの『悪魔のささやき』という本では、人を魅了して自滅へと追い込んでしまう「悪魔のささやき」は、そうしたボーッとした心の状態に入り込んでくるといいます。
★牧師という仕事は、忙しいように見えて、結構ボーッとしている時間もあります(ボクだけかな?)。説教の準備に行き詰まったり、こうした書き物に書きあぐねていたりする時。確かにそういう時には、世間に満ちあふれる様々な誘惑に負けて、魅入られてしまうことが多いようにも思います。
★加賀氏は、見聞を広く持ち、自分自身の「個」をしっかり持つことによって、そうした「悪魔のささやき」を避けることを説いていますが、人間なかなか疲れてしまう時もあるものです。そして、時にはボーッとしている時に、新しい展望が開けて来たりすることもあります。人間の「自覚」や「意識」などというものはそんなに堅固なものではないということを、まず分かっていなければならないのかもしれません。
★キリスト教は、「目を覚ましていなさい」ということを強調して、人間の「意識」に訴え続けてきましたが、イエスの訴える「信仰」というものは、どうももうちょっと深いところにあるようにも思えるのですが、どうでしょうか。ボーッとしながら、何に向かって心を開いていくかが大事なような気もします。上のイエスの言葉はその辺りの消息を伝えているようにも思えます。(大久保)
by oji-church | 2006-10-04 15:28 | 牧師からのメッセ-ジ