日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

礼拝予定などをお知らせします。まだまだひよっこのブログですが、コメントを残していただけるとうれしいです。


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「悪魔のトン走」

「汚れた霊どもはイエスに、「豚の中に送り込み、乗り移らせてくれ」と願った。イエスがお許しになったので、汚れた霊どもは出て、豚の中に入った。すると、二千匹ほどの豚の群れが崖を下って湖になだれ込み、湖の中で次々とおぼれ死んだ」。(マルコ5:12~13)

★最近、作家の加賀乙彦氏の『悪魔のささやき』(集英社)という新書版の本を書店でたまたま見つけて、新書に似合わないその題名にひかれて買ってきて読み始めました。
★加賀氏は犯罪心理学を研究する精神科医でもあり、多くの死刑囚との対話も重ねてきました。凶悪そうに思える殺人犯が実は多くの人とさほど変わりなく、それが「まるで悪魔にささやかれたように」殺人を犯してしまったと言うのだそうです。そうしてそうした「悪魔のささやき」は、必ずしも一人の人間だけではなく、一度に大勢の人間に「パッと同時に働きかけることがある」とも言います。
★かつて日本全体が沸き返った戦争もまた、そうした「悪魔のささやき」により引き起こされたものと言えなくもない。そういう大衆心理に働きかける「悪魔のささやき」に弱いのが日本人の特徴とも書いています。
★最近、自民党の総裁選挙をわたしたちは目撃しました。各派閥が相乗りで一人の候補者を推し、圧倒的な票を獲得するのを目撃しました。それを見て悪魔が「豚に乗り移らせてくれ」と懇願し、湖の中へとなだれ込んで溺れ死ぬ上の聖書の場面を思い出しました。朝鮮への強硬姿勢や、憲法改正を第一目標として掲げていることで知られる議員です。豚の「トン走」は、まだまだこれから続き、その先に大きな災厄が待ち受けているようで、不気味な気がするのは、わたしだけでしょうか。(大久保)
by oji-church | 2006-09-26 15:33 | 牧師からのメッセ-ジ

荒川土手の夕日

9月18日、知り合いの難民の人たちと自宅に集まって食事をしていましたが、腹ごなしに荒川土手に散歩に出かけました。「早く行かないと、日が暮れちまうぞ・・・」なんて叫びながら、車で着いて、土手をのぼると・・・。
本当に見事な夕日が輝いていました。こんな夕日は近年見たことがありませんでした。もしかしたら、日本海側を通り過ぎた台風のせいかもしれません。
刻々と光りは移り変わり、やがて日は暮れていきました。
難民の人たちも、母国の夕日を思い起こしているようでした。(大久保)

画像をクリックすると、大きな画像で見られます。
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by oji-church | 2006-09-20 13:20 | みちばたの教会
「復活としての未来」

★教会建てかえの工事も始まると早いもので、もう牧師館と教会堂の奥の部分はすっかり解体されてしまいました。礼拝堂のある前面の部分も囲いに覆われて、見えなくなりました。右の表紙の絵に描いた教会堂の建物は、この世では見られないものとなりました。
★なんだか少し残念に思う気持ちもあります。「もったいない」という気持ちもあります。そういう気持ちは後ろ向きのような気もしますが、でも大切にもしたいものです。
★古くなったものを愛おしむ気持ちはやはり大事なものでしょう。大切なのは、その気持ちを持ち続けることなのかもしれません。
★思えば、聖書の告げるイエス様の復活などというのも、気持ちとしてはもともと後ろ向きなものだったのかもしれません。何しろ十字架の上であからさまに殺されたイエス様をいつまでも思い続ける中で起こったことなのですから。
★でも、むしろ弟子たちがそれを思い続けたからこそ、復活の出来事は起こったのだと言えるかもしれません。しかもマルコ福音書に登場する墓場の天使が言うのは、「ガリラヤに行きなさい。そこで復活のイエス様と出会える」ということでした。
★ガリラヤといえば、それこそずっと始まり、イエス様の活動の出発点でした。そんな前にまで遡ってふり返るというのは、後ろ向きといえば後ろ向きです。でも後ろをふり返り歩んできた道を大切にしながら前に向かって進んでゆくとき、わたしたちは単なる「未来」ではない、「復活としての未来」を生きることになるのでしょう。王子教会もそんな「復活としての未来」を待ち望んでゆきたいと思います。
by oji-church | 2006-09-20 13:12 | 牧師からのメッセ-ジ

ネコだらけ

いま教会の事務所のある岸町周辺は、どうも“人口”ならぬ、“ニャン口”の多い地域のようで、先日、自転車で事務所に向かおうとしていたところ、名主の滝公園の外で、総勢20匹近くのネコファミリーが、ピクニックをしているじゃありませんか。母ネコと子ネコと色とりどりのネコが集まって、秋の日のひなたぼっこです。人間もこのくらい優雅に暮らしたいものですが、ネコも病気や、車に轢かれたりなど、見えない苦労があるんでしょうね。(大久保)
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by oji-church | 2006-09-16 12:19 | みちばたの教会
 もうテレビニュースは見ない!?

★先週は、「ある家の人々」の間に子どもが生まれたという話題で世間は持ちきりになりました。テレビをつけると、どのニュース番組も8割方の時間をその話題に割いています。日本人の「右へならえ」もここに極まれりという感じです。
★だんだん腹が立ってきました。先週生まれた子どもは、他にもたくさんいたはずです。そして、先週亡くなった子どももいたことでしょう。また先週、子どもが出来ず、悩んだ夫婦もいただろう。しかしテレビをつければ、どこのチャンネルでも、この「ある家の人々」に子どもが出来たというニュースだけが大映しに出てきます。でも、画一的な報道を批判する声はどこからも聞こえてきません。これはもう国を挙げたマインドコントロールといってよいでしょう。
★思えば、最近は普段からテレビのニュースといえば、どの局も世間の耳目を引く、人の表面的な関心や興味を煽るばかりの報道を、延々と垂れ流しているように思います。でもその陰で、人知れず苦難や不安や悩みにさいなまれている人たちが、この国にはどれほど沢山いることでしょうか。
★先々週、オリンピック候補地を福岡と競った東京都知事が、福岡を応援していた在日韓国人の大学教授を指して「怪しげな外国人」と発言しました。ほとんど報道されていませんが。
★大々的に報道される「ある家の人々」の子どものニュースを聴きながら、知り合いのフィリピン人の子どものことを思いました。かたや国を挙げて祝福される子どもの誕生と、かたや日本に暮らしているだけで犯罪者のように扱われ、貧困におとしめられる家族の子どもと、そのいのちに何の違いがあって、この境遇の差が生まれるのでしょうか。「貴あれば賤あり」です。そういう序列=差別の社会の価値観を、わたしたちは知らず知らずのうちにメディアによって植え付けられてしまいます。だからもう、テレビニュースは見たいと思いません。(大)
by oji-church | 2006-09-15 17:01 | 牧師からのメッセ-ジ

難民絵画の会

先週、日曜日に「難民絵画の会」を、教会の仮事務所で行いました。狭い場所ですが、かえってわきあいあいと行うことができます。絵は、先週高尾山へ行った難民の方の山のイメージ。普段、絶え間ない緊張を強いられる難民の方ですが、山へ行くと落ち着くことができると言います。目は、わたしたちを優しく見守っていてくれる「山の目」だそうです。そして、先週傷ついた鳩を拾ったとのこと。はやく傷がいやされて、自由な空へ飛び立つことが出来るように・・・。(大久保)
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by oji-church | 2006-09-07 14:25 | みちばたの教会
「『貧しさ』からの出発」

わたしの魂は主を讃美する。
貧しい人よ、それを聞いて喜び祝え。
わたしと共に主をたたえよ。
ひとつになって御名をあがめよう。

この貧しい人が呼び求める声を主は聞き
苦難から常に救ってくださった。
(詩編34編より)

★聖書の語る「貧しさ」という言葉の中には、単に経済的な貧しさにとどまらない、豊かな意味が含まれています。「貧しさ」という言葉は、もとは「押さえつけられた」という意味から始まった言葉ですが、「謙遜」とか「高ぶらない」「柔和」という意味にも用いられます。端的に「低み」という言葉で言い表されるかもしれません。
★日本語には「高み」という言葉はありますが、「低み」という言葉はどうやらないようです。高いところには意味や価値があっても、低いところには意味も価値もないという価値観から来ているのでしょうか。
★聖書を読んでいると、高さよりもむしろ低さに深い意味を見いだしている言葉に多く出くわします。そして現実の世界にあっても、むしろ貧しさの中にある人が、人のために、精一杯の思いを尽くそうとする姿に出くわしてきました。「低み」に立ってこの世界を注意深く見つめるときにこそ、何が一番大切なのかということがよく分かるのかもしれません。
★実は、この「低み」に込められた意味を見いだすことが、教会の果たすべき本来の役割なのではないかと思うのです。(大久保)
by oji-church | 2006-09-03 14:11 | 牧師からのメッセ-ジ

会堂ステンドグラス

会堂の解体に併せて、もともとはめ込まれていたステンドグラスを保存するために、取り外すことになりました。保護のためのカバーを取り外すと・・・。
パァッと光が差し込んで、えもいわれぬ美しさでした。

カバーの板を取り除いた瞬間、光が差し込んで・・・
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外から見ると、こんな感じ。レトロ調です・・・
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外したものを持ち帰って、光に透かしてみました。
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by oji-church | 2006-09-03 01:14 | みちばたの教会

教会堂解体始まる

ついに教会堂の解体が始まりました。中をのぞいてみると、こころなしか「廃墟の美」さえも感じられます。それも、やはり人の息づかいが、いっぱいつまっているからなのでしょう。
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by oji-church | 2006-09-02 14:02 | みちばたの教会