日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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<   2006年 05月 ( 5 )   > この月の画像一覧

5月14日(日)に、第3回の「難民と交流する会」がありました。今回は、この会に来られているクルドの方の故郷(クルディスタン)の風景をみんなで書きました。前回は海の風景を書きましたが、その二倍の大きさの大作になりました。
緑と岩のある高原に羊を放牧しています。雪解け水が小川を作り、その水を舟にためて羊の飲み水にします。クルディスタンから来られた方は、本当に恋しそうに「ああ、この水をまた飲みたい」と語っていました。しかし、いまは故郷に帰ることもできなければ、日本に難民として受け入れられることもできないのが現状です。
難民の人たちは、故国での迫害を逃れ、助けを求めて日本にやってきますが、多くが入国拒否にあい、またオーバーステイとして逮捕され、法務省入国管理局の「管理センター」という収容所に送られます。助けを求める人を「犯罪者」として扱うのです。
収容所での日々は、刑務所よりもつらいものになります。なぜなら、受刑者は刑期が定められ、刑期を終えた後の人生に希望を託すことができます。収容された難民認定申請者は、収容期間も定められず、突然、迫害の待つ故国に強制退去させられるかもしれない恐怖におびえながら時を過ごさなければなりません。このような日々の中では、将来に希望を持つことはできません。人生の将来への希望のすべてを奪われてしまうのです。このような仕打ちを、助けを求めてやってきた人たちに対して行う国、それを作ってしまっているのがわたしたち日本人です。その責任は重いと言わざるを得ません。
次回の交流する会は、5月28日午後4時30分からです。
演劇ワークショップの経験のある方を交えて、「何か」をやってみる予定です。関心のある方は、ぜひのぞきにきてください。(大久保)
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by oji-church | 2006-05-18 12:28 | みちばたの教会

王子教会へのアクセス

JR王子駅北口(ホームの北の端。一番「東十条」寄り)の改札を出て、
右方向にお進みください。バスロータリーがあります。
自動券売機の前を通って、三菱東京UFJ銀行とコージーコーナーの間のガード沿いの道を進み、「北とぴあ」の前に出ます。
角を左に曲がり、ガードの下をくぐります。
その後、まっすぐ坂を上ると交番があります。
交番の斜め向かいに日本基督教団王子教会があります。
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日本キリスト教団 王子教会
北区王子本町1-19-2
電話・ファックス 03-3900-4952
by oji-church | 2006-05-08 13:42 | 教会へのアクセス

バラが咲いた

教会の玄関の傍らにあるバラが今年も大輪の花を咲かせています。会堂の建て替えのときには、ここに植えておくわけにはいかなくなります。何とかしてあげたい気がしますが・・・。どなたか挿し木などで、生かしてあげることの出来る方はいませんでしょうか。(大久保)
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by oji-church | 2006-05-08 13:34 | みちばたの教会

遠くて近いこと

4月29日に、王子教会の所属している日本キリスト教団東京教区北支区の社会部主催による横須賀軍港見学に参加してきました。横須賀には、米海軍と自衛隊が共用している軍港があります。
日米両国の政府は、現在横須賀を母港としている空母キティホークの後継艦として原子力空母を配備しようとしています。
原子力空母が母港とするということは、そこに原発を置くというのと同じことを意味します。しかも原子力艦船の場合、一般の原子炉と比べても、余裕のない狭い艦船の中に置かれ、たえず振動にさらされ、軍艦ですので高性能の火薬と同居するということになります。
米海軍は1999年11月に、米国サンディエゴの湾内で原子力空母ステニスが、原子炉の二次冷却水の中に泥が入り込んだことから原子炉が停止して航行不能になるという事故を起こしています。しかし米軍は当初、この事故を発表せず、たまたま近くで米軍の通信を傍受した一般人がいたことから事故が発覚しました。このような事故は一般の原子炉では、明らかに「事故」と見なされますが、米海軍の基準ではこれは「事故」とは認められないとして発表がなされなかったのです。
横須賀に住む一般の人は、日常的にそうした危険にさらされることになります。そして、ひとたび大規模な事故が起これば、これは決して横須賀だけの問題ではなく、首都圏一円に被害が広がることになります。
軍隊というのは、傍らにある人の生命を危険にさらすことで、「国家」を守ろうとするものです。しかし、それで守られるものって、いったい何なのでしょうか。こうした軍隊の力が、世界全体を覆っている今、わたしたちにとって、軍隊の行動による生命の危険を巡っては、「遠い」「近い」という区別はもはや無くなりつつあります。(大久保)

写真は横須賀の軍港の様子。左下に見えるのは、自衛隊の潜水艦。中央に見えるのは自衛隊のイージス艦の艦橋。右端に見えるのが空母キティホークの艦橋。奥に見える緑に覆われた島の地下には、艦船用の巨大燃料貯蔵庫があるそうです。写真のすぐ手前には、一般のデパートがあります。
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by oji-church | 2006-05-08 13:26 | みちばたの教会
《ひだり手》       「弱い」言葉に耳を澄ませば
「人の子は仕えられるためではなく、仕えるために、…来たのである」(マルコ10:45)。
「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、それも十字架の死に至るまで従順でした」(フィリピ2:6~8)。


★宗教あるいはキリスト教を巡る言葉には、「荘厳」「厳格」「厳粛」「敬虔」「聖典」「正典」「真実」「真理」「伝道」…といった「強い」言葉がたくさん貼り付いています。これらは元来は、人間を遙かに超えた「神の強さ」を表す言葉だったのでしょうが、やがていずれもが、その宗教を司る、あるいはその宗教を信奉する「人間の強さ」を表す言葉になってゆきます。そうしてその強さは、人間の間で〈聖職者〉→〈信仰者〉→〈未信者〉という順に、強い方から弱い方へと序列化されていきます。キリスト教もやはり、そういう「強さの序列化」を長い歴史の中で形づくってきました。
★しかしキリスト教の一番最初の一粒であるイエス様の生き様、その中から響くわたしたちへの呼びかけは、むしろそうした「強い」言葉によって言い表される人間の「強さ」を、徹底して退けていく(拒否していく)闘いだったのではないでしょうか。試しにマタイ福音書の山上の説教からイエス様の言葉を拾ってみると、「心の貧しい人々…悲しむ人々…柔和な人々…」「地の塩、ともし火」「わたしたちに必要な糧…」「空の鳥、野の花」「パンを欲しがる自分の子ども…」等々。これらは当時の価値観から言えば徹底的に「弱い」言葉、「弱い」存在の羅列に他なりません。イエス様は「弱い」言葉を敢えて選び取ることで、人の世の序列化へと至る「強さ」を徹底して退けたのです。上のマルコ福音書の言葉の前にある「異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうではない」という言葉がその辺りの消息を伝えています。
★教会にとって「信仰」の道筋というのは、この「弱い」言葉の響きにこそ、耳を澄ませていくことなのではないでしょうか。聖書の中にも「強い」言葉はたくさんありますが、上の二つの聖書の言葉は、「弱い」言葉の奥深くに隠された「かけがえのないもの」の在処を示しているように思います。「強い」言葉の方が耳に入りやすく、わたしたちはそれに心を奪われがちですが、むしろ「強さ」というものを徹底して退けて、「弱い」言葉にこそ深く耳を澄まし、その奥底に響く「かけがえのないもの」を見つけてごらん、というのが、神様からわたしたちへと託された、実はとても重い課題なのです。(大久保)
by oji-church | 2006-05-08 12:42 | 牧師からのメッセ-ジ