日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

礼拝予定などをお知らせします。まだまだひよっこのブログですが、コメントを残していただけるとうれしいです。


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日曜の朝

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右の説教看板は教会員M田姉のご奉仕です。いつも、ありがとう。
by oji-church | 2006-04-30 12:04 | 担当者から
昨日は、定期総会が開かれ、前年の活動の報告と今年の計画がみんなで話し合われました。その中でブログによる活動も承認されました。週報にも「アドレス」が掲載されました。これからは、ますます管理人の働きをきちんとしないといけませんね。
今日は、
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ばあばママさんのリクエストにお応えして、教会の玄関のところの写真を載せます。
いかがでしょうか。
携帯の写真でも、ブログでは十分きれいに見えます。今後もいろいろ工夫していきたいと思います。(ふるふる)
by oji-church | 2006-04-24 21:09 | 担当者から

万緑の中

万緑の中や吾子の歯生え初むる(中村草田男)
先日4月20日午後1時頃、出かけようとして王子駅に向かう途中、駅近くの音無親水公園にて。直前まで激しく降っていた雨が上がり、春の陽光に照らされて、新緑が本当に萌え上がるように映えていました。都会の中の車が激しく行き交うすぐ脇で、自然は激しくいのちを燃やしています。感動して思わず写真を一枚。でも写真じゃあんまり伝わりませんね。(大久保)
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by oji-church | 2006-04-22 14:11 | みちばたの教会

難民と交流する会

この4月から、月2回ほど、近隣に住む難民の方々との交流の場に、王子教会の場を提供するようになりました。難民とは、「難民条約」では、次のように定義されています。
「人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けることができない者またはそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まない者、及び、常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって、当該常居所を有していた国に帰ることができない者またはそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まない者」。
このような境遇にある人たちが、日本に助けを求めてやってきて、年間200人以上の人たちが難民認定を求めていますが、そのうち認定を得ることができる人は30人足らずに過ぎません。他の国の難民受け入れ状況とは極端な差があります。
そうした状況の中で、難民認定を申請している人は、収容所に送られ、いつ迫害が予想される本国に送還されるかもしれないという不安の中に置かれています。
この交流の場は、難民の人たちの話を聞き、また一緒に絵を描いたりして、その思いを分かちあう場です。
前回、4月15日には、皆で平和のイメージを絵にしようということで、海と鳥と太陽を書きました。次回は 5月14日(日)午後4時30分 に変更になりました。よかったらのぞきに来てください。(大久保)
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by oji-church | 2006-04-18 13:22 | みちばたの教会

イースターおめでとう

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4月16日のイースターは、例年と同じく、教会学校の子どもたちといっしょに礼拝を守りました。礼拝後は、「サンドするもの持ち寄り」で、オープンサンドの愛餐会。こどもからおとなまで、ひとりひとりが自己紹介しあって、楽しいひとときとなりました。
by oji-church | 2006-04-17 12:14 | 全体のお知らせ
《ひだり手》  「教会」とは何なのか?(12) 「『従うこと』と『律法主義』」(4)
「だから、あなたがたは食べ物や飲み物のこと、また、祭りや新月や安息日のことでだれにも批評されてはなりません。これらは、やがて来るもの影にすぎず、実態はキリストにあります」(コロサイの信徒への手紙2:16~17)
★「キリストに従う」ということは、自由に向かって解放されていく歩みに他なりません。しかしひとたびわたしたちが、「キリストに従っていこう」と集まり、教会という場を形づくり始めると、上の聖書の言葉にあるような「食べ物や飲み物のこと、また、祭りや新月や安息日のこと」といった慣習的な規則が次から次へと生まれてきて、それによって、わたしたちは自由を失ってしまうことがあります。
★人の集団というものは、規則を作りたがるものです。ひとたび人が集まって集団を形づくると、その集団はひとりひとりの人間の意図や発想を越えて、集団そのものを守ろうとして、やたらと規則や規制、慣習を生み出し、それを人にまもらせようとするのです。
★教会という人の集まった場所において、わたしたちはこのことに気をつけたいと思います。もちろん、規則なんて無くっていいというわけにはいかないでしょう。ユダヤ教の律法は規則ですが、「律法は聖なるものであり、掟も聖であり、正しく、そして善いものです」(ローマ7:12)。しかし「律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったでしょう。たとえば、律法が『むさぼるな』と言わなかったら、わたしはむさぼりを知らなかったでしょう。ところが、罪は掟によって機会を得、あらゆる種類のむさぼりをわたしの内に起こしました」(ローマ7:7~8)という現実がわたしたちにはあります。
★むしろ教会は、規則を考えるとき、いつも「イエス様がどのように生きたか」を念頭に置き、そのことが実現するように工夫がされなければなりません。この「イエス様がどのように生きたか」をいつも念頭に置く、ということが、実は「キリストが頭(かしら)である」ということの意味なのです。
(大久保)
by oji-church | 2006-04-16 15:42 | 牧師からのメッセ-ジ
↓にある受難ロードを歩き終わると、当然最後はイエスが十字架刑にかかった地点があります。そこに、ローマンカトリックの「イエスの復活教会」があります。祭壇です。
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by oji-church | 2006-04-15 17:45 | 担当者から

今日は受難日

エルサレム旧市街の受難ロードにある十字架を負って歩むイエス像です。
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by oji-church | 2006-04-14 17:56 | 担当者から
受難節のイエスがみんなの足を洗ったという、聖書の箇所に基づいて、受難の一日前の木曜日ですので、タイトルのように「みんなで手を洗い合う」という祈祷会を行います。
19:00からの予定です。
9名の出席がありました。(4/14記述)
by oji-church | 2006-04-13 11:54 | 全体のお知らせ
《ひだり手》            春が来た
★桜の花が咲き、ようやく春がやってきたという感じです。我が家では、昨年から猫(メス、1歳)を一匹飼っているのですが、それが春の到来と共に「さかり」がついて、エライ騒ぎとなっていました。夜な夜な「おゎんおゎん……」と鳴いて、クネクネして、見ている方もつらいです。萩原朔太郎という人の「猫」という、こんな詩を思い出します。「まっくろけの猫が二疋(ひき)、/なやましいよるの屋根のうえで、/ぴんとたてた尻尾のさきから、/糸のようなみかづきがかすんでいる。/『おわぁ、こんばんは』/『おわぁ、こんばんは』/『おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ』/『おわぁぁ、ここの家の主人は病気です』」。折しも春風邪を引いて二日寝込みました。
★人間はカレンダーを見て季節の到来を測りますが、うちの猫は、家の中に居るだけなのに、どうも体が季節の到来を感じ取るようです。自然の内に他の命と共に生きているということなのでしょう。人間はそういう、体が他の命と共に生きるという感覚を失ってしまっているのかもしれません。
★そんなことを考えていたら、八木重吉というクリスチャン詩人の詩の中に、こんな詩を見つけました。「万象」という題の詩です。「人は人であり/草は草であり/椎は椎であり/おのおの栄えあるすがたをみせる/進歩というようなことばにだまされない/懸命に 無意識になるほど懸命に/各々自ら生きている/木と草と人と栄えを異にする/木と草はうごかず 人間はうごく/しかし うごかぬところへ行くためにうごくのだ/木と草とには天国のおもかげがある/もううご
かなくてもいいという/その事だけでも天国のおもかげをあらわしているといえる」。
★キリスト教はかつて、動物や草木には魂がないということを公式見解としましたが、そのことで、命というものへのまなざしを相当に貧しくしてしまったように思います。イエスやパウロの言葉にはしかし、人間も被造物として動植物と共なる魂を生きるものであることを思わせる言葉があります。
★今年に入って、相次いで二人の教会の友が天に召されました。「もううごかなくていい」場所へと召されたお二人の魂を思う春、同じ一つの魂を万象が共に生きる「天国のおもかげ」に触れる気がします。(大久保)
(写真は、近くの音無川の桜です)
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by oji-church | 2006-04-11 22:29 | 牧師からのメッセ-ジ