日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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2017年 10月 11日 ( 1 )

「病むことを当たり前として」

〈医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである〉(マルコによる福音書2章17節)

★8月に腰を痛めて4日間入院。歩行不能のわたしは看護師さんにストレッチャー、ベッド、車椅子で運ばれる日を送りました。普段お見舞いで伺いスタスタ歩く事になれた病院の廊下を「運ばれる」時、何とも言えない気持ちを味わいました。「情けない」「格好悪い」「申し訳ない」……。でもそれはもしかしたら、介護や介助を受ける側に身を置いておられる多くの人たちが、内心で感じていることかもしれないなあと思ってみるのです。そんな介護や介助を受ける側に身を置く人の胸の内に秘められたかすかな声は、なかなか世の中の表舞台には上がってきません。世の中の表舞台は、健康で丈夫な、介護・介助される必要のない人間というものを「当たり前」として成り立っていて、そういう小さな声に焦点が当てられることはほとんどありません。
★「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である」。ここでイエス様は、丈夫な人ではなく、病気の人に焦点を当てて、世の中の表舞台の真ん中に置くのです。確かに病気の人がお医者の手当てを、介助を、介護を必要とするのは「当たり前」のことです。イエス様は、丈夫で、自分の足で立ってスタスタあるいて「人を助ける側」にいるのが「当たり前」という世の表舞台のありようをひっくりかえして、むしろ病気の人をその真ん中に置いて、病気の人が手当てや介護や介護を必要とすることこそが「当たり前」であって、それは「情けない」ことでも「格好悪い」ことでも「申し訳ない」ことでもないと言われているのです。いわば、立ってスタスタ歩く目線を「当たり前」にするのではなく、車椅子に座り、ベッドに横たわり、ストレッチャーに寝かされて運ばれる時の目線をこそ、「当たり前」として、この世の中を見直してみること(=悔い改め)をわたしたちに呼びかけているということでしょうか。
by oji-church | 2017-10-11 15:27 | 牧師からのメッセ-ジ