日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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2017年 07月 19日 ( 1 )

「不思議な時」

〈時は満ち、神の国は近づいた〉(マルコによる福音書1章12~13節)

★聖書には時を表す言葉が二つあります。一つは数字で表すことのできる「時間」(クロノス)、もう一つは数字では表せない「時」(カイロス)。ここでは「カイロス」が遣われています。
★わたしたちは生きている中で、不思議な「時」を経験することがあります。普段は数字で測られる時の中で、いついつまでにあれをしなくちゃ、これをしなくちゃと慌ただしく生活しています。しかし例えば、親しくしていた人が亡くなった時。その時、わたしたちはその人がもうこの世にいない現実をまざまざと突きつけられて、悲しみに暮れます。だけれどもそれと同時に、その人が生きていた時、あんなことがあった、こんなことを言っていた。そういうことが生きていたその時よりも一層しみじみと、ありありと、掛け替えのない、愛おしいものとして甦ってくることはないだろうか。そういう経験は、わたしたち人間が本当に人間として人間らしく生きて成長していく上で大切な、そして欠かすことのできない経験でありましょう。普段は時計を見い見い、せわしなく生きている。でもそんな数字で測られる時間を生きる中で、あるときふと、過去のなにげない経験が、自分にとって掛け替えなく愛おしい、尊いものとして甦ってくる。そんな不思議な「時」をわたしたちは経験します。聖書の時代の人は時計なんて持っていませんでした。その分、その時代の人たちはそういう不思議な「時」の経験を、わたしたちよりもより敏感に感じ取り、深く胸に刻みながら生きていたでしょう。
★そんな「時」を感じ受けることが、「神の国は近づいた(近くにある)」というこことなのかもしれません。
by oji-church | 2017-07-19 09:20 | 牧師からのメッセ-ジ