日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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3月1日の週報コラム「ひだり手」

「『姦通の女』を読み返してみました(Ⅰ)」

《そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。》(ヨハネ8:2~8)

★この場面を改めてギリシア語原文から読み返してみて、律法学者やファリサイ派の台詞として「この女は姦通をしているときに捕まりました」と訳されている箇所の「姦通」という言葉は、もともと受け身で書かれていることに気付きました。つまり原文に忠実に訳せば、「この女は、姦淫を『犯されている』現場で捕まりました」となるのです。
★そう読めば、彼女は「自ら姦通を犯したよくない女性」ではなく、被害者であることが分かります。どうしてその通りに訳さずに、彼女自らが「姦通をした」と訳してしまうのか。その裏には、このように曲がりなりにも律法学者やファリサイ派の人々に訴えられているのだから、彼女にも落ち度があったにちがいないという思いこみがあるのだと思います。
★でも、旧約聖書の律法の掟を読んでみると、律法の掟では、女性の側に落ち度がなくても女性が訴えられるケースがしばしばあり得るのです。もう一つには、女とは所詮そのように男をたぶらかす汚れた存在なのだという、やはり思いこみがあるのではないでしょうか。(つづく)
by oji-church | 2009-03-04 14:00 | 牧師からのメッセ-ジ