日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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2月22日の週報コラム「ひだり手」

「修行をしてもいい」

★曹洞宗の開祖である道元の生涯を描いた『禅』という映画を見に出かけました。道元の教えは、人並み外れた華々しい「悟り」を目指すものではなく、ひたすらに坐禅を組み、朝目を覚まし食事をし、日々の務めをこなして夜床に就く。当たり前の生活の中で修行を積み重ねていくことそのこと自体が「悟り」なのだと教えるもののようです。
★元来わたしは、修行というものを誤解していた面がありました。修行というと、苦行を重ねて自分独自の「悟りの境地」を開くものと考えていました。そんなのは人より一段上の「悟りの境地」から人を見くだすためのものではないか。結局エゴイズムの表れではないか。キリスト教には修行の無いことに納得したつもりでいました。しかし道元の教える修行の生活は、端々で、自分以外の人への思い遣りに裏付けられたものなのです。
★だんだんとキリスト教にも修行があってもいいのじゃないかという気がしてきました。聖書に書かれた律法の掟は、元来、弱く小さくされた人間の立場に心寄せて、その人を守り救う神様がおられるのだということを心に刻み、その神様にしっかりと向き合ってゆくためのものでした。
★キリスト教にとっての修行とは、この弱く小さくされた人間に心寄せる神様に、わたしたちも日々の生活の中で従っていこうとすること。日常生活の様々な場面でわたしたちが出くわす、一人一人の人間の小ささ、弱さとを、神様と共に受けとめ、見つめ、共に担い合っていくことが、わたしたちにとって必要な修行なのではないかと考えるのです。
by oji-church | 2009-02-26 09:53 | 牧師からのメッセ-ジ