日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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2月15日の週報コラム「ひだり手」

「ひとの〈溜め〉になる」

★一年前の雑誌『世界』(08・2月号)に、この間日比谷での「派遣村」を主導した湯浅誠さんの対談記事(「反・貧困を軸として運動を」)が載っていました。「夫のDVから逃げて母子家庭になって、パートで働いていたら不当な解雇にあって、生活できなくなったから福祉事務所に行ったら追い返されて、生活出来ないから借金を背負って多重債務になって、ストレスがたまって子どもに手を挙げて児童虐待……というケースは、実はそんなに珍しくない。むしろ、そうやって複数の問題が一気に襲いかかってくるのが貧困問題の特徴なんです。貯金や人間関係という〈溜め〉のある人は、失業してから家を失うまでの時間を持てるけれども、貧困状態にある人は〈溜め〉がないから、一つのトラブルが解決される前に、二つ目、三つ目のトラブルが誘発されてしまう」。
★格差や貧困の問題に対してしばしば語られる「自己責任論」は、ここで言われている〈溜め〉を持つ人が、〈溜め〉を奪われた人に対して語るものです。〈溜め〉は表面からは見えません。表面から見えない、一人ひとりの人の生活の背景までを思い描いてみないと、この問題に向き合ったことになりません。
★福音書の中で、イエスが貧困はじめ社会の諸矛盾に向き合っている姿に出くわします。巨大な社会矛盾を前にしてイエス一人に出来たことは小さかったでしょう。でもまさにイエスは、表面からは見えない人の〈溜め〉の部分に分け入って、その人の人間としての尊厳を支え、救う働きをしたのです。
★深刻さを増すこの問題に、教会が出来ることは小さいかもしれません。けれどもイエスにならいつつ、困難の内にある人の〈溜め〉のほんの一端にでも、その気があれば教会はなれるはずだと思うのですが、どうでしょうか。
by oji-church | 2009-02-20 08:40 | 牧師からのメッセ-ジ