2月8日の週報コラム「ひだり手」
《従って、あなたがたの死ぬべき体を罪に支配させて、体の欲望に従うようなことがあってはなりません。また、あなたがたの五体を不義のための道具として罪に任せてはなりません。かえって、自分自身を死者の中から生き返った者として神に献げ、また、五体を義のための道具として神に献げなさい。》(ローマの信徒への手紙6章12~14節)
★結局、神様は誰をも道具としては見なさず掛け替えのない大切な存在として見つめるのだということです。その神様に、今ここにある自分の体を任せていくということです。
★わたしのからだが今ここにあるということは、わたしが今ここに生きて、存在しているということです。からだが大事だというのは、わたしが今ここに生きて存在していることは、実はとっても深い意味のあることなのだということです。
★あなたが今ここに生きているということ、あなたが今ここに存在しているということを、義のために、つまり、人と真っ正面から向き合っていくことのために、神様に任せていきなさいということ、それは、あなたが今ここに生きていること、あなたが今ここに存在していることを、きっと神様はそのままに、意味あるものとして用いてくださるはずだ、という希望を表しています。
★わたしが今ここに生きていること、わたしが今ここに存在していることを、そのままに、「あなたが、今ここに生きていてくれて、ありがとう。あなたが、今ここに存在していてくれて、ありがとう」と喜んでくれる人が、かならずいるのだよ。そういう結びつきに、神様は必ずわたしたちを導いてくれるのだよという希望を表しているのです。