日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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1月4日の週報コラム「ひだり手」

「互いの痛みを受けとめ合う関係を紡ぐ」

★明けましておめでとうございます。昨年の世相を表す漢字は、「変」という字でした。職を求める人が文字通り路頭に迷わされる「大変」となりました。単に非正規雇用の人たちばかりでなく、この社会に生きるわたしたち皆にとって、2009年をそこからの本気の再出発の年としなければならないように思います。
★暮れの31日の朝日新聞に、社会学者の見田宗介さんが、1968年に起きた永山則夫による連続射殺事件と、6月に秋葉原で起きた連続殺傷事件とを対照しながら語っていた論考は、興味深いものでした。
★永山事件とくらべて秋葉原の事件が示しているのは、今の時代の「空気の薄さ」だと見田さんは言います。永山が、中卒、貧困家庭出身、青森弁などに対する世間の人々の「まなざし」に苛まれて、事件に至ったのに対して、秋葉原事件は反対に自分が誰からも必要とされていないと感じさせられてしまう、「まなざし」の「不在」に耐えきれずに事件に至ったと言います。また、秋葉原事件の犯人がネットの中で、自分の敵と考えていたのが、彼が「リア充」と呼ぶ人々、彼にとって「リアリティーが充実している」と見える人たちだったということも知りました。
★日々自分が生きてあることの現実感の不在。確かにバブル最盛期であったわたしの学生時代、そういうものをわたし自身も感じ取っていました。それで教会に通うようになり、牧師にまでなったようなものです。しかし現在の教会が、果たしてそのような「現実感」(リアリティー)を提供できる場であるかどうか、考え込みます。
★見田さんは秋葉原事件と若者のリストカットとを結び合わせていましたが、「生きている現実感」とは、ある意味で「痛み」です。2009年を新しい出発とするためには、誰もが、自分の痛みばかりでなく「お互い」の具体的な「痛み」をこそ受けとめ合う関係を、少しずつでも紡いでいく必要があるのではないか、という予感がするのですが、どうでしょうか。
by oji-church | 2009-01-06 11:16 | 牧師からのメッセ-ジ