日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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11月30日の週報コラム「ひだり手」

「無関心という暗闇」

《初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。》(ヨハネによる福音書1章1~5節)

★ナチスによるユダヤ人の強制収容所での虐殺を生き延びたエリ・ヴィーゼルという作家がこんな言葉を語っています。「愛の対極にあるのは憎しみではない。無関心である。美の対極にあるのは醜さではない。無関心である。知の対極にあるのは無知ではない。それもまた無関心てある。平和の対極にあるのは戦争ではない。無関心である。生の対極にあるのは死ではない。無関心、生と死に対する無関心である」。 第一次世界大戦後の経済的に急迫するドイツで、自分の生活第一で、隣人の存在への無関心から、ナチスの横暴が生まれてきたことを見て取っている言葉かもしれません。
★先頃日本では首相が高齢者の医療費に関わって「何もしない人の分の金を何で私が払うんだ」と発言しました。隣人の存在を見ることのできない無関心という暗闇の中に生きる人の発言であると思います。
★しかしながら、わたしたち自身それぞれが、いまの時代のただ中で、同じような暗闇の中に生きているのではないでしょうか。それぞれが自分自身の問題を大きく抱えて手詰まりで、隣人と共に支え合うことに対しては、全く無関心です。しかし本来、一人の人が抱える問題は、その人一人で片付くものではない。むしろ、問題を抱えるその人が、やはり問題を抱える別の隣人を支え、その別の隣人が、問題を抱えるその人を支え、そんな互いに支え合う関係の中で、新しい展開が生まれてくるのでしょう。
★クリスマスを待ち望む時、無関心という暗闇の中に、共にあろうとする「言」(ことば)の来たらんことを待ち望みたいと思います。(おおくぼ)
by oji-church | 2008-12-04 10:25 | 牧師からのメッセ-ジ