日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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10月26日の週報コラム「ひだり手」

「ひとは棄つれど」

《目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。》(コリントの信徒への手紙Ⅰ第12章21~22節)

★もしかしたらここで言われている目とは、「見えない目」のことなのではないか。足とは「歩けない足」のことなのではないか。「見えない目」に向かって、それでもなお「お前は要らない」とは言わず、「歩けない足」に向かって、それでもなお「お前たちは要らない」とは言わない。それは「愛する気持ち」です。この「愛する気持ち」が芽生えるためには、他よりも弱く見える部分が必要なのです。
★もはや目も見えず、歩くことも、体を動かすこともできない、そういう「弱く見える部分」を「要らない」とは言わず、大切に大切に、そこに自分自身を結び合わせていく。そのようにして、もはや目も見えず、体を動かすことも出来ないような「弱く見える部分」によって、人間同士が結び合わせられ、つなぎ合わせられていく時、その人間同士の結び合い、つなぎ合いが、生きたキリストの体となるのだ、と聖書は語るのです。そのようにして、キリストは人を愛し、この世を愛し、人々と共に、この世と共に、今も共に生きておられるのだと。
★今の時代、人間が役に立つか、立たないか、そんな尺度によって切り捨てられていきます。けれど神様は棄てない。人が棄てるような弱い部分と、神様はずっとずっと共に居られる。「ひとは棄つれど、きみは棄てず」。この言葉をそのままに本気になって受けとめて生きてゆくとき、必ずや、わたしたち人間同士を結び合わせて、神様は、イエス様は、わたしたちを愛して、わたしたちと共に、永遠に共におられるはずです。
by oji-church | 2008-10-30 09:25 | 牧師からのメッセ-ジ