日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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9月7日の週報コラム「ひだり手」

「欲望の暴走を前に」

★岩波書店から出されている雑誌『世界』9月号の特集は「死刑制度を問う」というテーマでした。いま、諸外国では、ほとんどの国で死刑は廃止の方向か少なくする方向に向かって進んでいます。その中で日本だけが、死刑執行の数がウナギ登りに増えているという状況です。そしてまた、死刑制度に対する支持も80%と増えていると言われます。このは単に、刑罰制度の問題ではなく、日本社会の中で、日本人が人間のいのちというものと、いったいどのように付き合っていこうとしているのか、という深い問題に関わっているように思うのです。
★雑誌『世界』の記事の中で、社会学者の大澤真幸氏とドキュメンタリー映画監督の森達也氏の対談「われわれは他者の死に向き合えるか。秋葉原事件と死刑をめぐって」という記事が示唆に富んでいました。「光市母子殺害事件の差戻判決で裁判官が死刑判決を言い渡したとき、裁判所の周囲を囲んでいた数百の群衆から、歓声が上がり、拍手が沸いたそうです」(森氏の発言)というのを読んで、正直わたしは体が震える恐ろしさを感じました。
★確かに「母子殺害事件」自体、人間の欲望の暴走の中で起こった、悲惨な事件であると思いますが、その犯人の死刑判決に、数百の群衆が歓声と拍手を挙げるという情景に、復讐心という欲望が大きくふくらんで暴走している様子が感じられるのです。殺人という人間の野放しの欲望による犯行に対して、やはり人間の復讐心という欲望が、野放しにされつつあるのを感じるのです。
★2001年のアメリカでのテロ事件以来、世界は暴力とそれに対する復讐、憎しみが連鎖をなして野放しに暴走していくのを目の当たりにしてきました。わたしたち自身も、知らず知らずのうちに、この暴走の中に巻き込まれているように思います。わたしたち教会のなすべき「信仰」とは(かつて教会自身が暴走の火付け役になった歴史もありながら)、本来は、そうした人間の欲望の暴走の前に、立ち止まって「いのち」とは何なのか、ということを問い返す役割を負うもののように思います。わたしたちがどれだけ、その役割を負ってゆけるのかが、問われているように思います。(おおくぼ)
by oji-church | 2008-09-12 15:49 | 全体のお知らせ