日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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8月3日の週報コラム「ひだり手」

 「『みんな悪いヤツ』という、差別の乗り越え方」

《ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストの信仰により、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません》(ローマの信徒への手紙3章21~22節。一部私訳)
《このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い者をくださるにちがいない。》(マタイによる福音書7章11節)

★ここでイエス様は「あなたがたは悪い者だ」と、最初から言っています。イエス様の出発点は「あなたがたは皆悪い人間だ」ということです。みんな悪い人間だけれども、でもそんな悪い人間であっても、神様は決して見捨てないんだ、と言うのです。
★こういうイエス様の信仰を通してわたしたちは、人間と人間との間を区別する差別を乗り越えていこうじゃないか、というのがパウロの訴えなのです。「信仰義認」、「信仰によって義とされる」ということなのです。
★「わたしたちはみんな悪い人間なんだ」。そこを出発点とするならば、わたしたちは、それまで見過ごしにしてきたお互いの小さな思いやりのかけがえなさに気づくようになるのではないでしょうか。自分はよい人間。だから、このくらいされて当たり前だ、なんて思っていたら、決して大切なものは見えてきません。わたしも悪い人間。あなたも悪い人間。でもその悪い人間同士が時に心通わせ、互いを思いやることができる時があるのです。そういう思いやりは誰彼の区別なく、実は誰もが持っているものだと思うのです。「わたしたちはみんな悪い人間なんだ」という出発点から出発する時、たがいのそんな小さな思いやりのかけがえのなさが見えてくるはずです。
by oji-church | 2008-08-06 16:58 | 牧師からのメッセ-ジ