日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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7月27日の週報コラム「ひだり手」

「百尺竿頭に一歩を進む」

★このところ、仏教の禅に関心を抱き、本などを何冊か読んでいます。その中である言葉に再会をしました。「百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう)に一歩を進む」という言葉です。これは、わたしが王子教会に来る前にいた、千葉の教会のわたしの前任の牧師先生がしばしば引き合いに出していた言葉だったのですが、『無門関』という禅の書物に出てくる言葉だったのだと、いまさらに知りました。
★どういう意味か。深いところはわたしにはまだまだ分かりませんが、百尺(一尺がおよそ三〇センチですから約三〇メートルです)の竿のてっぺんまで登り詰めてから、さらに一歩を踏み出してごらん、ということでしょうか。
★そんなことをしたら、真っ逆さまに竿の上から落ちてしまうに決まっています。でも、その一歩を踏み出すのが大事だということでしょうか。わたしには、何か少し分かる気がするのです。
★キリスト教の中にも百尺の竿があるように思います。教会の歴史や伝統、あるいは個人の信仰歴といったものです。それらの歴史の積み重ねは確かに貴重なものであり、大切にしなければならないでしょう。けれども、それを誇って、その上に寝そべって動こうとしない態度は、やはり人間の高慢の現れと言えるでしょう。イエスはそういう人間の態度に対して「彼らは背負いきれない重荷をまとめ、人の肩に載せるが、自分ではそれを動かすために、指一本貸そうとしない」(マタイ23:4)と批判しています。
★やはり大切なことは、その百尺の竿の先から、たったの一歩でも進んでみることです。そのことで自分自身が真っ逆さまに地に落ちてしまったとしても、その「高み」ではなく「低み」こそが、わたしたちの本来あるべき場所なのでしょう。(おおくぼ)
by oji-church | 2008-08-01 17:03 | 牧師からのメッセ-ジ