日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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7月6日の週報コラム「ひだり手」

「振り返ること、立ち帰ること」

《イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた。そこで、弟子たちは言った。「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられた》(マルコによる福音書5章30~32節)

★ここで、群衆の中でイエスが「振り返り」と訳されている言葉は、他の聖書の場面では、「(神に)立ち帰る」というようにも訳される言葉です。あるいは「悔い改め」とさえ訳されることもある言葉です。
★まさか、イエス様が「悔い改める」なんてことはありえないだろうと言われるかもしれませんが、この場面でのイエス様の「振り返る」という仕草には、何か単なる「体の向きを変える」という以上のものを感じるのです。
★弟子たちが押しとどめるのも振り切って、イエス様は自分の服に触れた者がだれなのかを探し求めるのです。それまでは、伝道の成果も実って「大勢の群衆」に取り囲まれる「強い立場」の中にいるイエス様ですが、ここで自分自身の向きを変えて、たった一人の姿の見えない人物を、必死になって探し求める方向へと向かっていくのです。その姿は、「自分自身の力や強さを捨てる」という、確かに「立ち帰り」の姿を示してはいないでしょうか。
★人間同士が競い合ういまの社会の中にあって、「強い/弱い」どんな立場にある人でも(当然牧師も含めて)、人は時に「強さ」でもって人をおとしめて支配し、その上に立ちたいという欲望を、「業」のように抱えているものかもしれません。群衆の中で振り返り、弟子たちの制止も振り切って、触れた者を見つけようと沈黙して辺りを見回し、立ちつくしているイエス様の姿は、この支配と競争の社会から抜け出す道をわたしたちに示しているように思うのです。(おおくぼ)
by oji-church | 2008-07-10 11:18 | 牧師からのメッセ-ジ