日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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11月4日の週報コラム「ひだり手」

「『弱い部分』からの問いかけ」

《体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。わたしたちは、体の中のあまり価値の無いと思われる部分に、その周りに、はっきりと尊敬を向けますし、また、わたしたちの美しくない部分は、むしろ本当は美しさを持っているのです》(コリントの信徒への手紙Ⅰ第12章22~23節・一部私訳)
★教会の中では、とかく「弱さ」というと、「このわたしの『弱さ』」というように、すぐに「自分のこと」に取り込んでしまいます。そうして「わたしは罪人のかしらです」「いやいやわたしは罪人のかしらのかしらです」なんていうような言い合いに発展することさえあります。
★けれど、そういう一見謙虚に聞こえる言葉も、どこか宙に浮いているような印象を受けることがあります。むしろ教会という場所は、往々にしてそこに連なることで、「自分は特別に安らかな場所を与えられた、選ばれた人間」というような自負を育ててしまうことがあります。
★上の聖書の箇所でパウロが言っているのは、「わたしの自分の『弱さ』」ということではなく、「自分ではない誰かの『弱さ』」について語っているのではないでしょうか。その「自分ではない誰かの『弱さ』」に向かって、「尊敬を向け」、一見美しくないようにみえるその姿に、本当の美しさを見いだす心向きを養うように、わたしたちはチャレンジを受けているのだと思います。
★この「無価値と思われる部分」「美しくない部分」とは、イエスの生き様、死に様を指し示しているのかもしれません。実は、教会の多くが無視してきた世の片隅に、イエスのように生き、死んでゆく人たちがあります。その一見無価値に、美しくないように見える具体的な姿に、わたしたちは尊敬を向け、本当の美しさを見いだしていくことを求められているのでしょう。(おおくぼ)
by oji-church | 2007-11-07 16:42 | 牧師からのメッセ-ジ