日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

礼拝予定などをお知らせします。まだまだひよっこのブログですが、コメントを残していただけるとうれしいです。


by oji-church
プロフィールを見る
画像一覧
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

10月14日の週報コラム「ひだり手」

「教えられたことを理解したから」

★《総督ネヘミヤと、祭司であり書記官であるエズラは、律法の説明に当たったレビ人と共に、民全員に言った。「今日は、あなたたちの神、主にささげられた聖なる日だ。嘆いたり、泣いたりしてはならない。」民は皆、律法の言葉を聞いて泣いていた。彼らは更に言った。「行って良い肉を食べ、甘い飲み物を飲みなさい。その備えのない者には、それを分け与えてやりなさい。今日は、我らの主にささげられた聖なる日だ。悲しんではならない。主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。」レビ人も民全員を静かにさせた。「静かにしなさい。今日は聖なる日だ。悲しんではならない。」民は皆、帰って、食べたり飲んだりし、備えのない者と分かち合い、大いに喜び祝った。教えられたことを理解したからである》(ネヘミヤ記8章9~12節)。
★今日わたしたち王子教会は、ようやっと新しい会堂を神様に献げる献堂式の日に至りました。わたし自身はこの会堂建築の計画に途中から加わっただけでありましたが、最初の一歩からこの計画に携わってきた方にとっては、長く困難な道のりだったことだろうことを思い、その感慨のひとしおの深さを思い描きます。
★上の聖書の言葉は、ユダヤの人々がバビロン捕囚の憂き目に遭い、故国が滅亡した50年後、再び解放されて、故国の地に苦難の末にようやっと神殿の再建を果たし、それを祝って祭司エズラとネヘミヤが聖書を朗読した時の場面です。
★「嘆くな。泣くな」と言われても、彼らは感涙にむせぶほかなかったでしょう。その涙の裏には共に歩んだ苦難の道が顧みられていたのです。最後の文章「教えられたことを理解したからである」という一言が心に残ります。「泣くな」と言われても泣くしかなく、しかし「喜びなさい」と言われれば、その喜びの意味を皆が共によく理解しているのです。民は黙って家に帰り、言われた通り、持つ者も持たざる者も共に分かち合って喜び祝いました。この涙の後の共なる理解と分かち合い、そして喜びこそ、教会や礼拝というものの始まりだったことを思います。そんな礼拝の場を、新しい会堂でぜひとも共に祝ってゆきたいものです。(大久保)
by oji-church | 2007-10-20 12:38 | 牧師からのメッセ-ジ