日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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10月7日の週報コラム「ひだり手」

「切り結ぶ」

★「小黒丹十郎は、寄手の軍兵と斬り結んでいる間に、主君が腹を切ったという声を聞くと、勝ち誇った鬨の声と火の粉の下を潜り抜けて屋敷の外に遁れた。そして妻子を連れて二度目の放浪の旅に出たのである」(『竹光始末』)。
★若いふうを装っていますが、実は密かな愉しみは山本周五郎や藤沢周平の時代小説を読むことです。先日藤沢周平の短編小説を読んでいて、新しい認識を与えられました。
★伝道師になり立ての頃、赴任した教会の伝道礼拝に在日韓国人の牧師先生がいらっしゃった。戦後の時代を牧師として、在日韓国・朝鮮人の人権のために闘いながら歩んでこられたその先生は、「時代と『切り結ぶ』」という、聞き慣れない言葉を説教の中でたびたび使われました。「時代と切り結ぶ」という言葉の意味がよく分からず、「時代を切ったり、結んだりすることか? でも、それってどういう意味だ?」とこの歳になるまで思案し続けてきました。
★先日、藤沢周平の小説を何気なく読んでいた時、この「きりむすぶ」という言葉に再会しました。ああ、「きりむすぶ」とは、武士が相手の武士と刀を交えて闘うような情景のことだったのか、と合点した次第です。
★いまわたしたちが生きている時代に触れて、そこに関わっていくということは、自分の身を切られるような痛みを伴うことなのかもしれません。実際あの在日韓国人の牧師先生は、日本の戦後の時代全体にわたってそのような経験を積み重ねてこられたのでしょう。しかし同時に、藤沢周平の小説がしばしば描いているのは、互いに刀を交えなければならなかった武士同士が、不思議と敵同士でありながら、そうした「斬り結び」を通して実は誰よりも互いを理解しあう感情に至るという光景です。「時代と切り結ぶ」とは、時代と関わって切り切られという痛みを伴う関係を結びながら、本当に人間同士が互いを理解し合い、「結び合う」ことを目指してゆくことなのかもしれません。(大久保)
by oji-church | 2007-10-12 16:33 | 牧師からのメッセ-ジ