6月24日の週報コラム「ひだり手」
★「堂塔の木組みは寸法で組まず木の癖で組め。木の癖組みは工人たちの心組み。工人たちの心組みは匠長が工人らへの思いやり。百工あれば百念あり、これを一つに統ぶる。これ匠長の器量なり。百論ひとつに止まる、これ正なり。百論を一つに止めるの器量なき者は謹(つつし)み惧(おそ)れて匠長の座を去れ」(『木のいのち 木のこころ 天』西岡常一より)
★代々法隆寺の改修に仕えてきた宮大工の棟梁には、昔からの口伝えとして上のような言葉が伝えられているそうです。千三百年にわたって法隆寺を支えてきた材木には、まっすぐな木は一本もなく、どれもねじれる癖を持った材木ばかりだそうです。その癖をうまく組み合わせるのが飛鳥時代の宮大工の器量だったといいます。
★法隆寺のような巨大な建物も、ただ木を組み合わせて造ればいいというわけではなく、結局は「人の心組み」であり、「匠長が工人たちへの思いやり」なのだと言われます。
★ようやっと、王子教会の新しい会堂が建ち上がり、その中で礼拝を行う日がやってきました。しかし、そこで人の心が組まれているのでなければ、どんな見栄えのする建物も、「教会」としては「書き割り」のようなものに過ぎないでしょう。
★「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(マタイ18章20節)。イエス様がここで建物についてはひとことも触れず、ただ、一人ではない「二人または三人」の人間と、そしてイエス様の「名」だけを挙げていることを改めて心に刻みたいと思います。(大久保)
ようやく新しい会堂が建ちあがりました。多くの方々の厚いご支援に深く感謝申し上げます。