日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

礼拝予定などをお知らせします。まだまだひよっこのブログですが、コメントを残していただけるとうれしいです。


by oji-church
プロフィールを見る
画像一覧
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

11月19日の週報コラム「ひだり手」

発想力の貧困

★最近政府与党の閣僚の間から日本国内でも核についての議論を、という論調が出てきてメディアは大騒ぎになっています。いずれも朝鮮政府の行ったミサイル発射や核実験に触発されての発言です。
★もともと国々が競って核兵器を持とうとするのは、冷戦中に米ソがそれぞれに核兵器を配備し、「核抑止論」というものを主張したことに端を発しています。「核抑止論」とはつまり、国同士が戦争になってたとえ核兵器を用いたとしても、すぐに相手国もまた核攻撃を行い、双方が壊滅的打撃を受けることになる。そのような想定のもとには、互いに核戦争を起こせなくなるという論理です。ちょうど互いに鉄砲を突きつけ合って身動きできなくなっている状態です。
★その一方で、これまで従来の核保有国は「核拡散防止条約(NPT)」というものを推し進めてきました。これは自分たちの国以外は核兵器を持たせないという意図の下に作られた条約で、日本もこの条約を批准しています。
★けれど、思うに「核抑止論」とNPTはもともと矛盾しています。本当に「核抑止論」によって戦争を防止するためには、すべての国が核兵器を持たなければならないからです。
★でもその一方で、すべての国が核兵器を持ってにらみ合って身動きがとれなくなっている世界とは、何と「病んだ」世界でしょうか。日本も核武装を、という論議は、そうした「病んだ」世界に日本も足を踏み入れるということに他なりません。所詮、兵器で戦争を防止しようとする論理自体が間違っているのです。
★日本は元来、唯一の被爆国という経験、そしてすべての武力を放棄すると語る憲法9条という最大の「武器」を持っているでしょうに。それを使わずに核兵器などに頼ろうとするというのは、「発想力の貧困」と言わざるを得ません。(大久保)
by oji-church | 2006-11-21 11:14 | 牧師からのメッセ-ジ