日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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7月16日の週報コラム「ひだり手」

教会の境界

「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである」(ヨハネ福音書3:8)

★このところわたしたちの教会の属する教団の中で、「正しい聖礼典」ということが喧(かまびす)しく言われるようになっています。「聖礼典」というのは洗礼と聖餐のことです。この中でとりわけ「正しく行うべき」と言われるようになっているのが聖餐についてです。
★教団の規則の中にはこのようなことが書かれています。「陪餐会員とは、信仰を告白してバプテスマ(洗礼)を領した者…をいう」(「教規135条)。また、各教会の規則のひな形にはこう書かれています。「聖餐にはバプテスマを受けた信徒があずかるものとする」(「教団教会」規則(準則)8条)。「正しい聖礼典」というのは、ここをとらえて洗礼を受けていない人にも聖餐を開いている教会を抑えようということです。しかし、これらの規則で語られているのは、教団の「信徒」についてのことであり、「洗礼を受けていない者は、聖餐にあずかることはできない」という規則ではありません。
★教団の規則というものは、元来、教団のメンバー(洗礼を受けた信徒)にのみ当てはまるものです。教団の規則が、まだ洗礼を受けていない人の振る舞いを規制することはできないのです。教会は伝道や宣教という働きをイエス様から託された場です。ですから教会という場所は、他の団体や組織と違って、いつも正規のメンバー以外の人との「ふれあい」を運命づけられている場所でもあるのです。
★そういう意味で、教会という場所は、いつも「迎える場所」であると言ってもよいでしょう。イエス様は「霊から生まれた者として、新たに生まれなければならない」ということを言われました。「霊」とは風のように、外からわたしたちのもとに吹き来るものです。イエス様も、教会の中にいるのでなく、外から風のように教会にやって来るのだと言っても良いでしょう。
★正規のメンバー以外の人との「ふれあい」を託され、いつも「迎える場所」である教会という場所の境目は、実は結構曖昧で、曖昧であってもいいのです。そこにイエス様が宿る「隙間」が生まれるのですから。
★大事なことは、この「隙間」を大切にして、教会を訪れる人ひとりひとりを大事にして、イエス様を迎えるように、喜びを持って迎えていくことなのでしょう。
by oji-church | 2006-07-18 17:25 | 牧師からのメッセ-ジ