日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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5月28日の週報コラム「ひだり手」

教育基本法「改正」案を読む(1) 「国を愛する」を考える①
★いま、国会では教育基本法の「改正」の審議が始まっています。政府の「改正」案の中には、「教育の目標」として「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」という項目が記され、民主党案の前文には、もっとはっきりと「日本を愛する心を涵養する」という文言が見られます。現行の教育基本法には、こうした「国」というものを「愛する」という文言はありません。代わりに「個人の尊厳を重んじ」(前文)、「真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび」(教育の目的)といった言葉が見られます(「改正」案では、「教育の目的」の項目の「個人の価値をたつとび」という文言は、巧妙に削られています)。
★「人が自分の国を愛するのは、ごく自然なことである」とは、この「改正」に懐疑的な人の口からも出る言葉です。しかし果たして本当に、自分の所属する国を愛することは、自然なことなのでしょうか。
★わたしたちの語感では「くに」という言葉には、二つの意味が含まれています。「おくにはどちら?」と聞かれたら、「上州」とか「九州は熊本」とか答える人もいるでしょう。もう一つは「国=日本」という意味です。確かに最近は「くに」といえば後者の方が一般的になりつつあるかもしれません。
★しかし「国=日本」というのは、これはかなり最近に、つまり明治維新以後、国家の政策によって創り出された観念です。それまでは「上州」とか「九州は熊本」とかいう感覚の方が一般的でした。というのも、もともと「くに」という言葉には、自分の肌身に触れて、生活の物資(モノ)や気持ちのやりとりをする場所という語感が含まれていたからです。「愛する」という情愛が自然と生まれてくるのも、そもそもは、そのように肌身に触れて気持ちやモノのやりとりがなされる場所に他なりません。
★これに対して「国=日本」という考え方は、もともとがそのような肌身に触れた気持ちやモノのやりとりのために創られたものではないのです。明治政府はまず、「富国強兵」「殖産興業」という看板を掲げました。これは、力づくでもどこからか「富」をかき集めて、あるいはブン取ってきて、その分け前にあずかろう、ということです。
★これは何も戦前の日本だけがやっていたことではありません。それは17~18世紀頃の西欧に生まれた「国民国家」という、人間の集まり(共同体)の一つの形態です。19世紀になると西欧諸国はアジアやアフリカに乗り出していってこの「富のかき集め・ブン取り」を始めます。これに触発されて、日本もまた、そのような「国」造りを始めたわけです。(つづく)
by oji-church | 2006-06-02 15:10 | 牧師からのメッセ-ジ