日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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11月26日の週報コラム「ひだり手」

「悲しみの力」

〈わたしたちは生きている間、絶えずイエスのために死にさらされています、死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために。こうして、わたしたちの内には死が働き、あなたがたの内には命が働いていることになります〉(コリントの信徒への手紙Ⅱ4章11節)

★評論家の若松英輔さんがこんなことを語っています。「涙は必ずしも頬を伝うとは限らない。悲しみが極まったとき、涙は涸れることがある。深い悲しみのなか、勇気をふりしぼって生きている人は皆、見えない涙が胸を流れることを知っている」(『悲しみの秘儀』)。
★若松さんはまた、「同じ悲しみなど存在しない」とも言われます。「同じ悲しみなど存在しない。そういうところに立ってみなければ、悲しみの実相にはふれ得まい。同じものがないから二つの悲しいは響き合い、共振するのではないか。独り悲しむとき人は、時空を超えて広く、深く、他者とつながる」。同じ悲しみなど存在しないからこそ、わたしたちは、一人ひとり掛け替えのない存在なのであり、それゆえにこそ、一人ひとり大切に、耳を寄せて一人ひとりの悲しみに聴き、心を寄せ、悲しみを寄せて寄り添い合うことが必要なのです。
★「わたしたちは絶えず、イエスのために死にさらされている」。わたしたちは、それぞれに何かしらその人固有の悲しみを背負って生きざるを得ません。でも、そんなわたしたちだからこそ、イエス様はわたしたち一人ひとりの悲しみに耳を寄せ、心を寄せ、悲しみを寄せて、寄り添い伴って歩んでくれるのでしょう。そのことを覚えるとき、わたしたちの胸の内には悲しみの涙のひとしずくから、生きる力のひとしずくがあふれ出してくる。いや、わたしたちの胸の底の悲しみの涙のひとしずくこそが、生きる力のひとしずくそのものなのです。
by oji-church | 2017-11-29 10:09 | 牧師からのメッセ-ジ