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日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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10月15日の週報コラム「ひだり手」

「新しいわたしたち」

〈だれも、織りたての布から布切れをっとって、古い服に継ぎを当てたりはしない。…また、だれも新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない〉(マルコによる福音書2章21~22節)

★実はわたしたち人間というのは、目に見えるものだけを見ているだけでは、「希望」なんて、どこにも見出すことができないのです。なぜって人間には未来を見通すことができないのだから。目に見える隣国のミサイルとか、テロとか、独裁者だとか、そういうものに突き動かされているのではどこからも本当の「希望」なんて生まれてきはしないのです。「希望」というのは敢えて持つもの、嬉しいことや楽しいことが何処にも見当たらなくても、目に見えるものはミサイルやテロや独裁者であったとしても、それでも「希望」を持とうとわたしたちが心に決める時、その時初めて「希望」というのはわたしたちの胸の内に、小さな新しい芽を芽生えさせるのでしょう。
★以前信徒の方が礼拝で語ってくださった言葉が今も心に響いています。「どんな人でも、今が一番若いのですから」。自分の内に「新しいもの」「喜ばしいもの」を見つけ出すことが難しくなってくると、わたしたちは、自分の過去に依り頼もうとします。自分はこれだけのことをやってきた。こんな経験をしてきた。これだけのことを知っている。分かっている。そうやって自分を人よりも「上」の立てて、自分を守ろうとしてしまうのです。「どんな人でも、今が一番若いのだから」。そこには「自分の」業績や経験ではなくて、「神様が」造り出す、まだ見えない未来に、喜びを見出そうとする「希望」が感じられます。生きている限り、今日という、神様が作られる「一番新しいもの」を与えられている点では、生まれたばかりの赤ちゃんも、お年寄りも、まったく変わりはないのです。
★ここでイエス様が言われている「織りたての新しい布」「新しいぶどう酒」「新しい革袋」というのは、新しい今日という日を与えられているわたしたち自身のことなのです。一方「古い服」「古い革袋」というのは、わたしたちが自分自身の過去の業績や経験に依り頼んで、「上から目線」で世の中を見ようと苦労しているわたしたちの心持ち、有様のことなのでしょう。
by oji-church | 2017-10-18 10:21 | 牧師からのメッセ-ジ