日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

礼拝予定などをお知らせします。まだまだひよっこのブログですが、コメントを残していただけるとうれしいです。


by oji-church
プロフィールを見る
画像一覧
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

9月3日の週報コラム「ひだり手」

「記念―想い起こすこと」

★世の中では、学校で会社でも、しばしば創立何周年記念というお祝いをします。教会もしばしば同じように、創立記念の日にお祝い事をするのですが、聖書では「記念」という言葉は「想い起こす」という特別な意味を持っていることを知らされます。
★想い起こすという人間の営みには、さまざまな感情が伴わざるを得ません。時には胸の痛みや恥ずかしさ、悲しみと共に想い起こされる思い出もあります。しかし同時に、わたしたちが痛みや恥ずかしさや悲しみを越えて、前に進んでいくための力や励ましを与えられるのも、やはり「想い起こす」ことを通じてではないかと思います。わたしたちには未来を見晴るかすことはできません。わたしたちの胸の内に残されているのはすべて過去の出来事です。しかしまたわたしたちは、前に向かって、未来に向かって進んで行かなければなりません。その時に、前に向かって歩みを進めるわたしたちを支える杖となるのも、やはり過去の経験なのです。
★聖書を開けば、そこに語られているのは、ほとんど最初から最後まで、過去を想い起こす人間の営みです。聖書の中で神様は繰り返し「想い起こして見なさい」と人々に呼びかけています。聖書の中でイスラエルの人々は、神様によって繰り返し繰り返し、過去を想い起こすことを促され、そこに示されていたはずの神様の指し示しに、自分たちが、また自分たちの先祖が従い得なかった「罪」を直視させられるのです。しかしそれと同時に、その「罪」にもかかわらず、繰り返し神様がイスラエルの人々に呼びかけ続けてこられた、そしていまも呼びかけ続けておられる、そういう神様の姿をも想い起こさせられるのです。そうした改めて、神様から、今、そしてこれから未来に向かってわたしたちが進んで行く道筋を示される。それが、聖書の最初から最後までほとんど全部の頁に語られていることであり、この「想い起こす」という営みそのものが、聖書の信仰と言ってもよいでしょう。ですから、わたしたちもまた、教会の歴史を記念する時、単にそれを祝うのではなく、「想い起こす」ことが求められているのです。
by oji-church | 2017-09-07 10:54 | 牧師からのメッセ-ジ