日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

礼拝予定などをお知らせします。まだまだひよっこのブログですが、コメントを残していただけるとうれしいです。


by oji-church
プロフィールを見る
画像一覧
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30

7月9日の週報コラム「ひだり手」

「野獣と一緒にいたが」

〈霊はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒にいたが、天使たちが仕えていた〉(マルコによる福音書1章12~13節)

★野獣は自分のために、人に襲いかかり、爪を立て、食い破って省みないもの。でも実は、人は誰しもが、自分の内に、そんな野獣のような思いを秘めているものではないか。自分のために人を犠牲にして省みない残酷な思い、です。教会では「隣人を愛しなさい」「すべての人の僕になりなさい」と教えられます。野獣などもってのほか。だから表面上は、お上品に、麗しく振る舞うことを身につける。だけれども、この腹の底の野獣は死に絶えたり、どこかへ行ってしまいなんかはせずに、やっぱりそこに居続けるのです。だから、表面上は麗しく振る舞っていたとしても、人に意地悪したり、陰口を叩いたりして、野獣を時々宥め返し、自分を騙して生きている。そんなわたしたちじゃないでしょうか。
★聖書がわたしたちに語るのは、この野獣と闘って打ち勝ち、根絶やしにしてしまえ、ということではありません。聖書が語るのは「野獣が一緒にいたが、天使たちが仕えていた」ということ。自分をだまし、人をだまして、おもてづらだけお上品に、麗しく振る舞うのではなくて、わたしと同じように腹の底に野獣を抱えた人々と出会い、触れあって、時には、少しでも、その人を思って生きること。野獣を抱えていたとしても、掛け替えのない大切な存在なのだと、そう、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と神様から呼びかけられた存在なのだと思い返しながら。霊は、この神様の呼びかけをいっそう深くイエス様のいのちに、働きに刻み込むために、イエス様を荒れ野へと放り出したのではないだろうか。
by oji-church | 2017-07-13 11:00 | 牧師からのメッセ-ジ