2月26日の週報コラム「ひだり手」
〈わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ〉(コリントの信徒への手紙二第12章9節)
★弱さの中にこそ満たされる神様の力って、いったいどんなものなのでしょうか。それはやはり、人と人とを繋ぐ力、人と人とを出会わせ、結び合わせる力なのではないでしょうか。パウロ自身が持病やしょうがいを負っていたように、人は生きている限り誰もが心や体に傷を負っているものです。生きるということは傷を負う弱さを背負うということです。そんな自分の弱さを心に留める時、わたしたちは自分一人では生きられないと思う。誰かと繋がり、誰かと結び合わせられることによって、初めて人間というのは生きることができる存在です。しかしわたしたちは、なかなかそのように自分を見つめる眼差しを持つことができません。自分の「強さ」、自分の「力」に寄せる思いしか持っていないから。それで、自分の「弱さ」に直面すると、もうそこで絶望するしかなくなってしまいます。「弱い」自分に直面すると、もう夢を望むことができないと思ってしまう。それで「強い」人、「力を持った」人に依り頼もうとしてしまいます。
★けれどもパウロが示されたのは、「自分の」力、「自分の」強さ、あるいは自分より「強い人」の「強さ」、自分より「力ある人」の「力」ではなく、神様の「力」でした。それは「弱さの中にこそ満たされる力」。人と人とを同じく「弱さ」を背負った者として受け容れて、出会わせ、結び合わせ、互いに助け合う者同士として繋ぐ力です。この神様の力によって、わたしたちは自分自身の「弱さ」に直面し、自分自身の「弱さ」を背負いながらも、なお夢を望むことができるのだと思うのです。