日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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2月12日の週報コラム「ひだり手」

「誰かが弱っているなら」

〈誰かが弱っているなら、わたしが弱らないでいられるでしょうか。誰かがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか。〉(コリントの信徒への手紙Ⅱ11章29節)

★先々週から先週にかけて、神学校で日本基督教団の歴史を教える授業を受け持ちました。かつての戦時下、ひたすらに戦争勝利のための「強さ」が追い求められた時代の中で、日本のクリスチャンたちが自分たちのだけの「生き残り」のために、国家崇拝に同調し、戦争を支持し、戦意昂揚に加担していった歴史を神学生たちと一緒に学んでいます。でもそれによって、どれだけ多くの人たちが戦争に駆り立てられ、また戦争によって命を奪われたか計りしれません。戦時下の教会は自分たちだけの生き残りを図って、ある意味でそれは成し遂げられましたが、そこには戦争に駆り立てられ、戦争で命を奪われていった多くの人たち、その「誰か」に心寄せる信仰を失っていたことは否めません。
★今教会はいわゆる「教勢」の落ち込みの中でじり貧の状態であることも神学生たちに教えます。その中でやはり自分たちの「生き残り」のために「強さ」の時代に同調していくことも可能でしょう。ですが、あの戦時下の教会の有様を振り返る時、いま教会が「弱さ」の中に置かれていることの中に、むしろ神様の「恵み」らしきものが感じる気がするのです。この「強さ」の時代の中で、数多く「弱さ」の中で苦労を背負わされ、ゆく先の見えない状況に追い込まれている人たちがいます。今教会が背負わされているじり貧の「弱さ」には、もしかしたら、そんな「弱さ」を背負わされて、苦労している多くの人たち、その「誰か」を離れないように、その「誰か」の傍に居続けるように、という神様の思い、神様の呼びかけが響いているのではないかないと思うのです。
★イエス様に出会い、弱さのままに、裸の姿で、しかしなお前を向いて進んでいく。そうして、同じく弱さを背負った「誰か」と出会わされ、その「誰か」の元を離れずに、弱さゆえの苦労を分かち合い、それを通じて希望を見出していく、心を温かく燃やされていく、そんな信仰の歩みを大切にしてゆきたいと願うものです。
by oji-church | 2017-02-15 09:42 | 牧師からのメッセ-ジ