日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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12月4日の週報コラム「ひだり手」

「心の貧しい者は幸い?」(2)

★いま、わたしたちの生きている世界は、先頃のアメリカの大統領選の結果にも現れていたように、とにかく今ここでの目の前の自分の利益や都合を最優先に追い求めて、人を見下し、侮蔑するような動きが各所で強まっています。わたしたちはそんな世界の有様に翻弄されながら生きています。でも、それは本当の意味で人間的とはいえない人間の姿、非人間的な世界の姿でしょう。聖書の福音は、人間の価値というのはそんな目先の利益や都合よりも、もっと大きな、大切なものだと語っているのです。こんなふうに福音に目先の利益や都合に振り回されて、あちこちへと引き回されて、人を見下し、侮蔑するような、そんな人間的ではない、非人間的な世界に奴隷のように繋がれているのは、やりきれないと、そんな自分自身の「悲しみ」に気付いた時、初めて自分の「心の貧しさ」の意識が芽生えるのだと、そう大塚さんは語るのです。
★わたしたちが福音の告げる「人間の尊厳」に目覚めるというのは、目先の利益や都合に左右されて、尊厳を失って生きている自分自身の「悲しみ」を自覚させ、それと同時に、目先の利益や都合に支配される在り方からの解放を与える、というのです。
★聖書の語る福音の大きな広い世界に触れて、生きる「喜び」を与えられた、というのはよく聞くことです。でも、大塚さんが語るのは、福音に触れて、その福音とはほど遠い世界に生きている自分自身のありように、「ほんとうの悲しみ」を与えられる、ということです。これは目先の利益を失うことや、目先の不都合によって生じる一喜一憂とは違う、もっと本質的な「悲しみ」です。しかしこの本質的な「悲しみ」は同時に、人間のほんとうの価値への目覚めを与えるものでもあります。それに目覚めるとき、わたしたちは、目先の利益を追い求めて、人を見下し、人を侮蔑する、この世の差別や罪から解放されて、新しい生き方、視点を変え、生きる方向性を変える、つまり「悔い改めた」生き方を与えられるのでしょう。
by oji-church | 2016-12-07 11:45 | 牧師からのメッセ-ジ