日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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11月6日の週報コラム「ひだり手」

教会の宣教の在り方を考える

★8度目になるオープンチャーチを催しました。教会員のみならず各所から多くの方が献品を寄せて下さり、教会員もそれぞれに力を尽くして盛り立て、切り盛りしてくださったことを心より感謝いたします。またこの間、オープンチャーチの実行委員長をずっと続けて負ってくださっているIさんにも感謝しなければなりません。とりわけ、それぞれ創立50年、20年になるいずみスイングオーケストラとゴスペルママの方々が、この小さな教会のために労を厭わず駆けつけてくださることは、本当に有り難いことです。
★今、教会の信徒が減少する状況の中で、教会が教会外の人々や地域の人たちとどのように関わりを持つのか、関わりの持ち方について、もう一度考えて見るべき時期なのかもしれない思わされました。ある会合で、ある教区の教区議長が言っていたことが思い返されます。その教区で、一つの教会が信徒の減少によりやむなく閉じざるを得なくなりました。信徒も牧師もいなくなった教会の解散手続きを教区議長が代わって進める中、その町の人たちが、教会が無くなることをまったく意に介していないことにショックを受けたと言います。教会が無くても町の人にとって何ら影響がない。教会は町の人たちとのつながりをまったく失っていたということです。
★キリスト教的な風土ではない日本の教会はこれまで、洗礼を受けてクリスチャン=教会員となる人の数を増やすことを最大の課題・関心事としてきました。それも必要なことかもしれませんが、キリスト教の「宣教」というのは本来、ただクリスチャン=教会員の「数」を増やすことではなく、聖書の語る福音を、この世の多くの人たちに指し示す=共有することでした。教会に連なっていない人たちの中にも、世に仕える働きをする中で、聖書の語る福音的な思いを胸に宿している人たちに多く出会ってきました。そうした人たちと「人間にとって本当に大切なこと」を共有して、教会外の人たちの「教会がここにあってほしい」という願いに支えられて、教会が続けられていくのが、「宣教」というものの大事な在り方なのかもしれません。
by oji-church | 2016-11-10 17:26 | 牧師からのメッセ-ジ