日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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10月23日の週報コラム「ひだり手」

「和解」と「嘲弄」(2)

★(承前)一人の人がすべての人に代わって人の苦しみを、人の苦労を背負う時、その大切さを理解せずに、「あんなことをしたって何にもならない」と嘲る人ばかりではない。神様は必ず、その姿に心打たれて、自分もまた、自分の安全、自分の幸福だけでなく、隣り人のために、この命を用いていく、そのようにして和解の務めを負っていくように呼びかけられていると感じ、気付かされて、立ち上がっていく人を、一人また一人と備えられる。それが教会の希望であったし、現に教会はそのように、一人また一人と、イエス様に従って、人の苦労を背負い、自分の命を隣人のために用いながら生きていく人を与えられてきました。それが教会の歴史です。
★いま、わたしたちの生きている世界は、いたるところで紛争と対立が巻き起こって、それを解決するのは武力や暴力しかないという論調が高まっています。しかし紛争や対立に対して、武力や暴力を用いることは何の解決ももたらさないことは、20世紀からの戦争の歴史を見れば明らかでしょう。本当の和解の出発点には、たとえ理解をされず、嘲られたとしても、他者のために、他者を愛して、他者の苦労を背負い、自分自身の小さな一つの命を他者に代わって用いようとする小さな一人の人の姿があるのです。神様がわたしたちに呼びかけているのは、その姿をわたしたちは嘲ることなく、その姿によって、自分のこの命にも、和解の務めが神様に呼びかけられていることに気付かされ、そして立ち上がっていくことなのでしょう。和解の出発点に立っている、他者のために生きる小さな一人の人の姿、世間的な目では、肉に従って見たとしたら見えないようなその小さな一人の人の姿を見失わずに、その人に従って与えられたこの命を大切に、また他者のために用いる歩みを歩んでゆきたいものです。
by oji-church | 2016-10-26 10:21 | 牧師からのメッセ-ジ