日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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10月16日の週報コラム「ひだり手」

「和解」と「嘲弄」

〈一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人も死んだことになります。その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです〉(コリントの信徒への手紙Ⅱ第5章14~15節)。

★北九州のバプテスト教会の牧師でホームレスの方々の支援に携わっておられる奥田知志さんという牧師さんがこんなことを仰っておられます。教会は「嘲弄教会」で行こうじゃないか、と。人から「教会は自分のためでなくて人のために、とか言ってホームレスを支援したりしてバカだね。あんなことやったって何にもならないのに。教会自体がつぶれそうなのに、人のためになんて、本当にバカだね」と、嘲られる教会であることを覚悟して、嘲られる教会であることに甘んじていこうじゃないかと。イエス様ご自身、十字架の上で「他人は救ったのに、自分は救えない」と嘲られたのだから。
★実際、そんな「自分のためでなく、人のために」なんてことをしたところで、何にもならないかもしれない。けれども、一人の人がすべての人に代わって人の苦しみ、人の苦労を背負う時、たとえ人からは理解されなかったとしても、実は見えないところで何かが変わっているんだ、神様との間にもう一度、出会いとつながりが回復されるんだ、なぜなら、わたしたちは一人ひとり違いと個性を持った個人として大切にされ、愛されると同時に、もともと、目に見えない「命のつながり」の中で生きているのだから。これが聖書が語る「和解の福音」というものです。(つづく)
by oji-church | 2016-10-18 18:06 | 牧師からのメッセ-ジ