日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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10月2日の週報コラム「ひだり手」

見えないいのちの部分に

〈わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。……だから、わたしたち落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます〉(コリントの信徒への手紙Ⅱ第4章7~16節)。
★パウロは言います。人間というのは、脆く弱い「土の器」だけれども、その土の器の中に、人間は神様から、宝物を与えられているのだ、と。その宝物って何かと言えば、「神様の霊」だということです。神様の霊というのは、神様の命の息吹であり、また、わたしたちはただ独りぼっちで生きているのではなくて、神様から命を与えられて、神様から愛され、どこまでも大事にされて生きているのだということを知らせてくれる、目には見えない力のこと。そういう、喜ばしい、輝かしい宝物をわたしたちは、この弱く脆い命の中に与えられているんだ、ということです。
★わたしたちはこの世の中の流れの中で、目に見えるところだけで物事を判断し、価値付けすることに馴らされてしまっていて、このわたしたち一人ひとりの命の奥底に与えられている宝物に気づき、目を注ぐことを忘れてしまって生きています。
★歳を重ねて弱り、衰えていく姿を、ただただ死の暗い陰の中に降りていく惨めなものとしか感じられなくなっています。だけれども、わたしたちの命にとって、目に見える部分というのは実はほんのわずかなところなのではないでしょうか。いのちの奥底には、誰しもが、わたしたちの一生分以上の計り知れない大きなものが秘められているのではないか、ということを、聖書を読む中で感じさせられるのです。
by oji-church | 2016-10-06 09:50 | 牧師からのメッセ-ジ