日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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9月18日の週報コラム「ひだり手」

覆いの掛かった世界で(1)

〈わたしたちの福音に覆いが掛かっているとするなら、それは滅びの道をたどる人びとに対して覆われているのです。この世の神が、信じようとはしないこの人々の心の目をくらまし、神の似姿であるキリストの栄光に関する福音の光が見えないようにしたのです〉(コリントの信徒への手紙Ⅱ4章3~4節)
★相模原で、19人のしょうがいを持つ人たちがいのちを奪われる事件がありました。容疑者は「障害者は生きていても意味がない」ということを語っていると言われます。それが間違った考えであることは無論言うに及ばないことです。テレビでこのことが報道される時も、解説する人は繰り返しこれは間違った考え方だと言います。
★だけれども果たして、わたしたちの暮らしているこの世界、この社会は、その「間違った考え方」ではなく、「正しい考え方」に従って、本気になって「正しい世界」「正しい社会」を形作ってきているのだろうか、と思うのです。不景気が深まっていく時代の中で、貧しい人の命が守られることよりも、企業が儲けを生む経済政策が優先されて、誰もがそのことに期待を掛ける社会の中に、わたしたちは生きています。沖縄に米軍基地を集中させて、日本を守るためには沖縄に暮らす人が負担を負うのは仕方のないことだと、そのことが正当化される社会の中にわたしたちは生きています。それはやはり命の価値に、優劣を付けていることではないのか、と思うのです。
★社会全体が命の価値に優劣を付けて、そのことをみんながよしとする、そのような社会の中に、わたしたちは生きているのではないか。その大きな社会の流れの中で、あのような事件が起こってしまったのではないかと思うのです。「障害者は生きていても意味がない」と言うあの事件の容疑者の「間違った考え方」を、あの容疑者一人の問題とすることはできないように思うのです。
by oji-church | 2016-09-21 12:19 | 牧師からのメッセ-ジ