日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

礼拝予定などをお知らせします。まだまだひよっこのブログですが、コメントを残していただけるとうれしいです。


by oji-church
プロフィールを見る
画像一覧
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

8月14日の週報コラム「ひだり手」

70年という年月

★敗戦後、71年目の夏を迎えました。聖書には、ユダの国がバビロニアによって滅ぼされ、多くの人々がバビロニアへ捕囚として送られた後、「七十年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる」という神様の言葉が記されています。神様に従うことをなおざりにしたユダの国の人々は、その代償として、70年間、国の滅びと捕囚という痛切な憂き目を見なければならなりませんでした。つまり、最初にバビロニアに捕囚として送られた人たちは、生きてもう一度、ユダの国に戻ることはできないことを意味しています。聖書が語る70年間の捕囚の期間というのは、人が一生をかけて、自分たち自身の罪と、その罪によって引き起こされた惨禍を直視して、心に刻み、そして語り伝えることで、本当の平和を願い求め、見出し、形作る者へと、わたしたち人間が生まれ変わっていく、ということを意味していのでしょう。そのような努めを重ねて、「七十年の時が満ちたならば、わたしはあなたたちをもう一度顧みる」と神様は語っているわけです。
★翻って、あの戦争から今にいたるわたしたちの暮らす国の70年は、どんなものだったでしょうか。この70年間、果たしてわたしたちは、あの戦争において犯した日本人の罪と、その惨禍を直視し、心に刻み、語り伝えてきただろうか。そうすることを通じて、本当の平和を願い求めて、見つけ出し、形作るべく努めてきただろうか。それを怠るならば、たとえ70年の年月を経たとしても、神様はわたしたちを顧みはしないだろう。
★70年という年月は不思議な感じがします。1868年の明治維新からおよそ70年後に、日本は泥沼の戦争に突入していきました。そしてその戦争が終わってから、また70年の年月が過ぎたわけです。日本人が、戦争というものの罪と惨禍を直視し、心に刻み、語り伝え、それによって本当の平和を願い求め、見出し、形作ることを怠って70年が過ぎたとき、巨大な戦争の嵐に突入していきました。いままた、同じような過ちと惨禍を経験することになるのではないかと危惧しているのです。
by oji-church | 2016-08-17 13:56 | 牧師からのメッセ-ジ