日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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7月24日の週報コラム「ひだり手」

イエスが書いた手紙

〈あなたがたは、キリストがわたしたちを用いてお書きになった手紙として、公にされています〉(コリントの信徒への手紙二第3章2節)。

★福音書に描かれたイエス様は一文字も文章を書いていません。一つだけ、ヨハネによる福音書の中で、姦淫の罪を犯したと言われる女性がイエス様の前に連れてこられて、律法学者やファリサイ派の人々が「こういう女は石で打ち殺せと律法の掟には書かれているけれども、あなたはどう考えるのか」と詰め寄った時に、イエス様はしゃがみこんで、指で地面に何か書き始められます。そうして「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」と言われます。けれども人々は誰も石を投げることができず、最後にイエス様もまた立ち上がって、「わたしもあなたを罪に定めない」と言われたと。そこでイエス様が指で地面に何を書いていたのかについては、何も語られていません。イエス様が文字で何を書かれたか、ではなく、イエス様がどのように生きられたか。そのことのほうがよほど大事だと言うかのように、です。
★わたしたちは、そんなイエス様が書いた手紙なのだとパウロは言います。一文字も書かれなかったイエス様、ただ人の痛みや苦しみや寂しさに心寄せ身を寄せて懸命に、精一杯生きたイエス様、そのイエス様が書いた手紙がわたしたち自身なのだと言うのです。そうならば、わたしたちもまた、資格証明書だとか推薦状だとか規則だとか、そんな紙に書かれた文字によって人を判断するのではなく、自分自身が日々、どのように生きているかということを何よりも大事にするべきではないかとパウロは問いかけているのです。人の痛み、苦しみ、悲しみ、寂しさに心寄せ、身を寄せて生きられたイエス様のその文字に表されないメッセージ、呼びかけが、イエス様の書いた手紙となって、資格も何も持たないわたしたち自身の生身のありのままの心に今も響いており、わたしたち自身の生身のありのままのこの体に生きているかどうかということの方が、よほど大事な事柄なのです。
by oji-church | 2016-07-27 08:55 | 牧師からのメッセ-ジ