日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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7月3日の週報コラム「ひだり手」

「悲しみ」を「喜び」へ

〈わたしは、悩みと愁いに満ちた心で、涙ながらに手紙を書きました。あなたがたを悲しませるためではなく、わたしがあなたがたに対してあふれるほど抱いている愛を知ってもらうためでした〉(コリントの信徒への手紙2第2章4節)。

★この世に生きて、人と関わり触れ合って生きる時、時にわたしたちは人との対立を経験しなければなりません。人と対立してわたしたちの心には怒りの火が灯ります。その怒りにまかせて、相手を打ちのめすことができれば、それなりに気分は晴れるかもしれません。けれどもそれは、神様がこの世を造られ、命を造られた目的にかなったことだろうか。神様はわたしたちの怒りを満足させるためにこの世を造られたのか、命を造られたのか。そうではない、神様は命が創られたとき、「見よ、それは極めて良かった」という喜びを声を挙げられました。わたしたちの命は、お互いにお互いが生きていることを喜び合うことへと向かうように造られたのでしょう。そのようにして造られたこの世界にあって、人間同士、わたしたちが誰かと対立し合うことは、怒るべきことではなく、むしろわたしたちにとって「悲しみ」であり、「苦痛」なのだ、ということです。
★「見よ、それは極めて良かった」という神様の喜びの声と共に始まったこの世界において、人間同士が対立し合うこの「悲しみ」「苦痛」は、必ずもう一度、「喜び」へと回復されるものでなければならないし、必ずもう一度、「喜び」へと回復されるはずなのだ、ということ。パウロは、コリントの教会の人々に向かって、そのことをいつも心に留めていてほしい、と呼びかけているのではないかと思うのです。
by oji-church | 2016-07-06 10:10 | 牧師からのメッセ-ジ