日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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3月13日の週報コラム「ひだり手」

一緒に食べる

〈一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしの体である。」〉(マルコによる福音書14章22節)

★聖書には、いたるところに人々が一緒に食事をする場面が出て来ます。どうしてこうも食事の場面が出てくるのでしょうか。人は食べなければ生きていくことができません。一緒に食べるという振る舞いは、自分自身と自分以外の人の「食べなければ生きていかれない」という〈弱さ〉を受け入れ合うことなのではないかと思います。この〈弱さ〉はいのちの根源にあるものです。このいのちの根っこの部分に触れようとして、聖書には沢山の共に食事をする場面が語られているのではないかと思います。
★「私たちが食べるものは私たちの日ごとの食物であって、私だけのものではない。そこで私たちは、ただ霊においてだけでなく、身体をもった存在の全体においても互いに強く結ばれている。そしてこの身体をもった生活の交わりを破る者は、そのことによって霊の交わりを破るのである。……私たちが、私たちのパンを一緒に食べている限り、私たちはごくわずかなものでも十分に持っているのである。誰かひとりが自分のためだけに取っておこうとするときに初めて、飢えが始まるのだ」(ボンヘッファー『共に生きる生活』)。いま、世の中では「こども食堂」など、〈一緒に食べる〉活動が始められています。これはイエス様がなさった、多くの人たちと共に食べる働きと重なるように思われます。現在教会も人的・財的に厳しい中にありますが、そうであればこそ、「わずかなパンを(教会という枠を越えて)一緒に食べることの大切な意味をあらためて噛みしめる時ではないでしょうか。
by oji-church | 2016-03-15 12:54 | 牧師からのメッセ-ジ