日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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1月24日の週報コラム「ひだり手」

喜びの傍らには(2)

★フィリピの信徒への手紙の中でパウロは、イエス様のことについて、このように語っていました。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」と。イエス様は自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払うそのために、とことんまで「人間」として生き、他の「人間」の気持ちを理解し、分かり合い、受けとめて生きる生き様を生き通されて、その果てに十字架に掛けられて殺されるという「人間」として生き死にする痛みの極みを経験されたのだということです。だから、わたしたちは、他の誰よりもまずイエス様によって「分かり合って」もらっているのだ、ということです。
★「こんな自分の気持ちなど誰も分かってくれやしない」と思っていたわたしたちが、不思議にも「分かってもらえた」と思って「笑う」「喜ぶ」。その傍らには、他の誰よりもまず、イエス様がいるのだということです。わたしたちは何よりも、イエス様によって、分かってもらえた、理解してもらえた、受けとめてもらえた人間なんだということ。
★わたしたちは相変わらず、互いに分かり合うことの難しい世界の中に生きています。家族の中でも、教会の中でも、国々の関係を見ても。でもわたしたちが、まず何よりも、イエス様が分かってくれた、理解してくれた、受けとめてくれた、そう思って生きる時、何かが変わるのではないでしょうか。誰かに「分かってもらう」ことを過剰に期待したり、あるいはまた、どうせ誰も分かってくれやしないと捨て鉢な気持ちになったりすることなく、自分とは異なる人と出会い、今は分かり合えなくても、分かり合い、理解し合い、受けとめ合うことができるようにされ、共に生きる喜びに満たされる時が必ず来るという希望を灯火をともすことができるようにされるのではないでしょうか。
by oji-church | 2016-01-28 16:33 | 牧師からのメッセ-ジ