日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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1月17日の週報コラム「ひだり手」

喜びの傍らには

「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます」(フィリピの信徒への手紙4章4~5節)。
★わたしたちにはいろんな「喜び」があります。欲しいモノを手に入れた喜び。物事がうまくいって幸せになるという喜び。気の合う仲間や愛する人と共にいる喜び、等々。でもわたしにとって、この世の見方を変えさせてくれるような本当の喜びは、自分と違う誰かとお互いにお互いの気持ちを「分かり合えた」という、そういう経験だったように思います。
★いつだったかテレビのコマーシャルでオノ・ヨーコさんが、こんな言葉を語っていたのを憶えています。「一人で泣くことはできる。でも、一人で笑うことはできない」。本当の喜びというのは、一人で味わうものではなく、誰か自分とは違う人との間に生まれるものなのでしょう。こんな自分の気持ちなど、誰も分かってくれやしない、理解されるはずもないと思っていたのが、不思議にも、自分以外の人が分かってくれた。理解してくれた、受けとめてくれた。それが本当の意味でのわたしたちにとっての「喜び」であり、そんな「喜び」の傍らには、自分一人ではない、いつも自分と違う誰かがいるのです。
★パウロがここで勧めているのは、そんな「喜び」ではないでしょうか。と言っても、そんな本当の「喜び」を経験することは、決して簡単なことではありません。「分かり合えた」喜びよりも、結局、所詮「分かり合えない」、そういう経験の方がわたしたちはこの人生の中で圧倒的に沢山経験するものです。人と分かり合える喜びを誰かに期待しても、結局自分一人の過剰な思い込みや期待であったり、肩すかしを食らったりして、相手と分かり合うことよりも、むしろ相手に対する失望や怨みを深める結果になってしまうという経験をわたしたちはしばしばします。それでもなお、パウロは「常に喜びなさい」と繰り返し勧めるのです。そんな喜びはどこからやって来るのでしょうか。(つづく)
by oji-church | 2016-01-21 12:57 | 牧師からのメッセ-ジ