日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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1月3日の週報コラム「ひだり手」

はじめに〈呼びかけ〉があった

★聖書に一貫して響いているのは、神様の「呼びかけ」です。「光あれ」という呼びかけに始まって、聖書のどの頁を開いても、そこには神様の呼びかけが響いています。この呼びかけは、単に聖書に登場する人々に向かっての呼びかけというだけでなく、この聖書を読む人々、つまりわたしたちにも向けられている呼びかけに他なりません。
★呼びかける、とは、いったいどういうことでしょうか。わたしたちは誰もいないところで誰かに呼びかけたりはしません。また、わたしたちは「モノ」に向かっては呼びかけません。足の小指を柱の角にぶつけて、痛さの余りに柱に向かって「バカヤロー」と呼びかけることはあります。でも柱に向かって呼びかけても、柱は謝りもしないし、反省もしません。そう気づいて、空しい気持ちにさせられます。言い換えれば、呼びかけるということは、呼びかけるその相手を「モノ」ではなく「生きている人間」として「認める」ということです。亡くなった方の遺影に向かって呼びかけることはあるでしょう。それは亡くなってもなお、その人が「人として生きた」という事実を、大切なこととして認める振る舞いです。
★いまわたしたちの生きている社会を見渡すと、新聞やテレビなどでは、この世界全体の人間のことは数字やパーセンテージで表されます。わたしたち自身、身近な何人かの人のことは生きている人間として出会い、触れ合います。でもそれ以上の世界にある人のことについては、もう「そこまでは考えてられない」とばかりに、考えることを止めにしてしまいがちです。そして、わたしたちにとって「身近」と考える世界の外にいる人は「どうでもいい存在」になっていきます。経済力や軍事力ばかりが優先される世界で、数字、パーセンテージで表される「モノ」とされたわたしたち自身がまた、他者を「モノ」として扱うようになるのです。
★わたしたちがお互いを「モノ」ではなく生きた掛け替えのない存在として、出会い受けとめ合って、「生きた人間」とされる平和を見出すために、聖書に響く神様の呼びかけに、大切に耳を傾けてゆく者でありたいと思います。
by oji-church | 2016-01-06 10:21 | 牧師からのメッセ-ジ