日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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11月8日の週報コラム「ひだり手」

「隣人になる」とは?

〈旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います』〉(ルカによる福音書10章35節)。
★エリコに降って行く道の途中で追いはぎに襲われ、半殺しの目にあって倒れた人を助けたのは、「律法の掟を守って正しく生きている救われるべき生粋のユダヤ人」である祭司やレビ人ではなく、サマリア人の旅人でした。ユダヤ人はサマリア人を異民族、知らない土地から連れてこられた「よそ者」と見て、反目し、さげすみ、憎しみと敵意を持っていました。
★彼が、「エリコに降って行く」道の途中で追いはぎに襲われて倒れたこの人に出会ったということは、何を意味しているかと言えば、エリコというのは先ほどお話ししたように、ユダヤの国の中にある町なわけですから、つまりこのサマリア人は自分がさげすまれ、憎しみと敵意を投げかけられる場所であるユダヤの国の中を旅していたということです。このサマリア人の旅人にとって、倒れている人は自分を敵視し、憎しみやさげすみを投げかけてくるユダヤ人なわけですから、そんな人間を助けようという気持ちは、普通に考えたら、起きないだろうと思われます。
★このサマリア人は、自分に対して、さげすみを投げかけ、敵意や憎しみを注いでくるユダヤ人のために、あたうかぎりの手を尽くして手当をし、介抱をし、面倒を看るのです。こういう経験をしたこの追いはぎに襲われたユダヤ人の旅人は、そのあと、どうなっでしょうか。このようにサマリア人に助けられて、それまでサマリア人に抱いてきた敵意や憎しみやさげすみの気持ちは、消えて無くなってしまったのではないでしょうか。もしそれでも、サマリア人に対する気持ちを変えずに、さげすみや敵意を抱き続けていたとしたら、どれほど心無い、無慈悲な人間か、ということになります。彼は、このサマリア人の振る舞いに触れて、サマリア人が「敵」でも「異民族」でもなく「自分のかたわらに生きている『人間』」なのだということに気づかされ、自分の気持ちを変えられていったのです。(つづく)
by oji-church | 2015-11-11 14:09 | 牧師からのメッセ-ジ