日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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10月5日の週報コラム「ひだり手」

「人生の振り子」と「希望」(1)

★ときどき考えることがあります。クリスチャンなんかにならずに、ましてや牧師などにならずに、教会などという場所にもかかわらずに、神様を信じるなんていうこともせずに生きていたら、もっときれいサッパリして、いろいろと考え、悩むこともなく、もっと軽い気持ちで生きることができたんじゃないだろうか、と。神様は人間に自由を与えるために、この世界を造り、人々が自由に、平和に生きることを望んでおられると、そんなことを信じようとするものだから、「じゃあ、どうしてこの世界はこんなにも、自由でもない、平和でもない、不正がはびこり、一方では一握りの人たちが権力や武力や繁栄を手にして、他方ではその一握りの人たちの犠牲になって、多くの人たちが苦しんでいる。そんな状況がいつまでも続くのか」と。そんな疑問がわき出してきて、それを説明しようとして頭がこんがらがって、訳が分からなくなってしまう。もし神様なんぞ信じなかったら、疑問を持つこともなく、説明に苦労することもなく、頭もこんがらかることなく、訳が分からなくもなりません。そうやってもう神様を信じるなんてことをやめてしまったなら、そのときにきっとわたしはこう思って落ち着くことでしょう。「世の中なんて、所詮そんなものだ」と。
★確かにそれで心はサッパリするかも知れません。でもそのとき、わたしたちはただ信仰を失うだけではないのかもしれません。もっと別なものも一緒に失ってしまうかもしれません。それは何かといえば「希望」です。振り子がぶら下がっている様子を思い浮かべます。振り子が右に振られると、その分、左にも振られます。大きく右に振られれば、左にもそれだけ大きく振られます。そうやって振り子は時間を刻んでいきます。振り子が真ん中で止まってしまえば確かに静かになるかもしれません。でもその振り子はもう時間を刻むことはありません。「世の中、所詮そんなものだ」と思うこと、それは真ん中で止まった振り子のようなものかもしれません。静かで落ち着いていますが、もうそれ以上前に進むことはありません。止まったままです。(つづく)
by oji-church | 2015-10-07 10:22 | 牧師からのメッセ-ジ