日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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9月13日の週報コラム「ひだり手」

「人間」にへりくだる(1)

〈キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。〉(フィリピの信徒への手紙2章6~8節)。
★しばしば謙虚な人に出会ってすがすがしい気持ちになり、「自分もこうなりたい」と願って努力をします。けれどもしばらくするとこんな気持ちがわき起こってきます。「オレだってニンゲンだよ!」。ここでわたしの謙虚さへの努力は失敗し、水泡に帰します。
★イエス様はへりくだって、神と等しい者であることにしがみつかず、自分を無にされます。それはとてもスゴイことです。ところがその後を読むと不思議なことに気づかされます。へりくだったイエス様が向かった先はどこかと言えば、「人間と同じ者になる」ということです。イエス様の「へりくだり」の目標点・到達点は「人間になる」ということでした。では果たして「人間」とは、「へりくだり」の失敗した場所なのだろうか、それとも「へりくだり」の目標点なのでしょうか。
★イエス様は人間として生きる中で多くの人と触れ合いました。とりわけ、貧しい人々、病いやしょうがいを負っている人、差別を受けている人、そういう人たちと触れ合って、そういう人たちに手当をして、食べ物を分かち合い、元気づけることをしました。その一方で、そのように人と触れ合おうとせず、ただ自分の地位や富や力や自分の救いだけを守ることに汲々としていた権力を持つ人たちを厳しく批判しました。それでイエス様は権力を持つ人たちから憎まれて、陥れられ、ついに十字架に掛けられて殺されることになりました。イエス様が人間として生きる中でやろうとしたのは、つまりは「人と触れ合う」ということだったのではないかと思います。その果てにイエス様は十字架にかけられて殺されました。(つづく)
by oji-church | 2015-09-24 09:41 | 牧師からのメッセ-ジ