日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

礼拝予定などをお知らせします。まだまだひよっこのブログですが、コメントを残していただけるとうれしいです。


by oji-church
プロフィールを見る
画像一覧
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

8月23日の週報コラム「ひだり手」

境を越える(3)

★その一方で、一人でいる時、わたしたちの心には、他人を見下す気持ちも芽生えて、どんどんと膨らんでいくものではないかとも思います。他人は自分ではないから自分の思い通りにいかず、イライラします。それは相手がダメなヤツだからだと結論づけます。一人でいる時、そんな自分の思い通りにならない他人へのイライラはどんどんと膨らんでいき、他人はますます「ダメな人間」であるように思えてきます。一人でいると、誰も「いやいや、他人ってそんなにダメなばかりのものじゃないよ」と助言してくる人はいませんから。一人の中で膨らんだ他人を見下す思いはやがて、差別や暴力としても膨らみ始めます。あんなダメなヤツはいなくていいという横暴な気持ちです。相手が自分よりも強いと思えば恐れや憎しみとなり、自分よりも弱いと思えば見下す気持ちになるのです。「敵」というのは、そのように一人の自分の中で膨らんだ、他人への恐れや憎しみ、見下す気持ちの名前なのではないでしょうか。
★どうも一人ぼっちのわたしたち人間の中には、他人に対する恐れや憎しみや見下す気持ちの歯止めがないようです。一人ぼっちで思い巡らせている時、やがてわたしの回りはすべて恐れるか、憎むか、見下すかする相手、つまり「敵」になっていってしまいます。そんな、自分一人で「敵」を大きく大きく膨らませていくばかりの一人ぼっちのわたしたちに向かって、イエス様は「自分」という境を越えて、出かけていき、そして出会うことを呼びかけているのではないでしょうか。
★「自分」という境を越えて出かけていき、他人と、武器を持たない裸同士の人間として出会う時、わたしたちは初めて、他人に対する恐れや憎しみや蔑む気持ちへの歯止めを手にすることができ、他人に対する恐れや憎しみや蔑む気持ちから解放されるのではないでしょうか。つまりは、わたしたちは「敵」から解放されるのです。自分自身の中でどんどんと膨らませてきた「敵」という影、まぼろしから解放されるのです。
by oji-church | 2015-08-26 15:08 | 牧師からのメッセ-ジ