日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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8月16日の週報コラム「ひだり手」

境を越える(2)

★思えば、イエス様の語ったことや行ったことの多くは、境を越えることであったように思います。当時「汚れた者」であり触れてはならない者であった病気やしょうがいを負う人たち、差別された職業の人たちに向かって、イエス様は境を越えて、寄り添い、触れ、共に食事をされました。百匹の羊のたとえ話の中で羊飼いは九十九匹の羊が集まった囲いの境を越えて、一匹の羊を追いかけて出かけていきます。羊飼いは言います。「一匹の羊が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、迷い出た羊を捜しに行かないだろうか」と。羊飼いはわたしたちに向かって呼びかけているのです。「あなたもわたしと一緒に迷い出た羊を捜しに行かないかい?」と。イエス様は境を越えて出かけていくことをわたしたちに求め、呼びかけているのです。こうして誰かとの出会いを求めて、境を越えてイエス様と共に出かけていく時、どんなことが起こるでしょうか。
★人間というのはどうも、一人でいる時、他人に対する恐れの気持ちがどんどんと際限なく膨らんでいくものではないかいう気がします。他人は自分ではないから、自分の思い通りにできるものではありません。他人は自分ではないから、自分の予測以外のことをするものです。一人でいる時、そんな自分の思い通りにならない、自分の予測を超える他人のありようというのが、わたしの想像の中でどんどんと膨らんでいき、他人は自分にとってますます恐ろしいものになっていきます。一人でいると、誰も「他人って、そんな恐いばかりのものじゃないよ」と助言してくれる人はいませんから。一人の中で膨らんだ他人に対する恐れはやがて憎しみとしても膨らみ始めます。自分に怖い思いをさせる他人に対して「やられる前にやってしまえ」という攻撃的な気持ち、それが憎しみです。(つづく)
by oji-church | 2015-08-16 13:48 | 牧師からのメッセ-ジ