日本キリスト教団王子教会 ojichurch.exblog.jp

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7月26日の週報コラム「ひだり手」

モノは要らん!

〈主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない。この所で、お前たちの道と行いを正し、、お互いの間に正義を行い、寄留の外国人、孤児、寡婦を虐げず、無実の人の血を流さず、異教の神々に従うことなく、自ら災いを招いてはならない。〉(エレミヤ書7章4~6節)

★「主の神殿、主の神殿、主の神殿」というのは、当時のユダの人々が自分たちの国の繁栄を言祝ぐときに呼び交わすスローガンのようなものだったのでしょう。確かにエルサレムの神殿は当時ユダの国にあっては随一の巨大で壮麗な誇るべき建物だったでしょうから。しかし神様は、そんな建物の立派さなど要らん! と言っているのです。
★聖書の神様、ヤハウェの神様は、お金掛けた壮麗な神殿で祀られることも、多大な捧げ物を献げてもらうことも、ましてや子どもの命を人身御供に献げてもらうことなど、そんなことは一つも望んでいないし、そんなことをされたってちっとも嬉しくないと言われるのです。嬉しくないどころかむしろ、そんなことは腹立たしいことだ、「わたしを怒らせる」ことだと語ります。神様が望むのは「お前たちの道と行いを正し、お互いの間に正義を行い、寄留の外国人、孤児、寡婦を虐げず、無実の人の血を流さず、異教の神々に従」わないことだと語ります。「寄留の外国人、孤児、寡婦」と呼ばれる人たち、これらの人たちはいずれも、ユダの国の中でいちばん弱い立場、寄る辺のない貧しさの中に置かれていた人たちです。神様が望むのは、自分が何かをしてもらうことではないのです。大きくて強い神殿を建ててもらうことでも、盛大な捧げ物をプレゼントしてもらうことでもないのです。そういう大きさ、強さがご自身に注がれることとは正反対に、自分以外のところにいる小さくされた人たちの見えない痛みや苦労にこそ、神様は目を注がれるのです。「モノは要らん!」と神様は言っているのです。
by oji-church | 2015-07-29 12:41 | 牧師からのメッセ-ジ